猪子:つまり、第1ステップとして産業区分がなくなり、すべてのビジネス領域はデジタルテクノロジーの固まりになります、と。もしくはデジタルテクノロジーと切っても切り離せない領域になります、と。デジタルテクノロジーが弱いところは、いつのまにか、いなくなります。
第2ステップとして、そうなった瞬間、テクノロジーは共有スピードが激しすぎて、競争の差異を生みにくくなります、と。
第3ステップとして、そういう未来においては、究極的にすべてのビジネスは、企業そのものやプロダクトなり、サービス、つまりビジネスのアウトプットがアートでないと生き残れなくなります、と。
田中:なるほど。
猪子:で、20世紀まではアートとビジネスは遠い存在だったけど、21世紀のもうちょっと先に進んでいくと、アートじゃないとビジネスとして成り立たなくなる時代が来ると思うんだ。
まずはプライドを捨てよ
田中:その中で、たとえば猪子さんが大嫌いなマッキンゼーの人間や(笑)、東洋経済のコンサル本などを読んでいる読者の方は結構、アートと逆のタイプが多い気がするんですが、そういう人はどうすればいいですか? 今後、アート化が重要な要素となっていく中で、それは誰にでもできることではないように思います。
猪子:うーん……。プライドを捨てる。
田中:プライド?
猪子:なぜなら、20世紀後半まで最も価値があったことが、ある日突然、価値がなくなってしまうかもしれないから。
田中:猪子さんは大学生や20代のビジネスパーソンと接する機会も多いと思いますが、若者はプライドを捨てることができていますか?
猪子:そういう時代が来ることを無意識では知っていても、言語領域では気づいていないよね。だからプライドを捨てる必要があるとも思ってない。なぜなら、20世紀のあまりにも完成されすぎた仕組みのまま、社会は一応延長しているから。教育システムにしても学校機関にしても。
で、世界の中ではプレーヤーが入れ替わっている中、日本ではプレーヤーすら入れ替わってないので、日本社会にいるかぎり、20世紀の延長線上にあるように思っちゃうよね。
たとえば家電メーカーに入ったとして、時代が変わったことになかなか気づけないと思う。なぜなら、家電メーカーはほかの家電メーカーに負けてるんじゃなくて、その領域ごと、音楽プレーヤーみたいに突然、消滅してたり、まったく関係ない領域の人たちにシェアをこっそり奪われていってるわけだから。一生気づけないまま滅んでいく。
オレらが子供の頃は身の回りのモノがほとんど日本製だったでしょ?
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