(中国編・第三話)笑顔と握手

北京での交渉はそう簡単に進んだわけではない。私は、連日、中国の民間の文化団体や学術団体のさまざまな会合に呼ばれ、そこで日中対話の必要性を訴えた。
「あなたは北京に友人を得たと思ってくれてもいい。是非、協力をしたい」
 団体の長老は必ず笑顔でそう語り、手を差し伸べる。そうした笑顔や握手に囲まれながらも、私の心はなぜか晴れなかった。こうした歓迎が本心なのか、さらにどう日中対話につながるか、手ごたえを感じなかったからだ。

初めての北京の空は、太陽の存在を忘れるほど灰色がかり、建設途上の高層ビルが林立している。市場経済のダイナミックな発展は、中国社会の構造を音をたてて変えようとしているかに見える。
 中国という社会主義の国で、民間ベースの自由な対話や交流自体が本当に成り立つのか。北京の街で多くの人と会話をしながら、私の心の奥底に刺のように引っ掛かっていたのはそんな疑問だった。
 変化は確かに急速に始まっている。ただ、政治主導の体制と民間主導の間にはかなり大きな隙間があるように思えた。
 しかも、そうした中国と交渉するにも、私は日本政府を代表して中国に来たわけではない。日本の非営利組織とはいうものの、中国では存在も知られていない、いわば勝手に中国の乗り込んだだけの人間なのである。
 日本と中国、そして政府と民。その間につかみどころの無い距離感を感じていた。北京に入ってから3日後。私が自分の置かれた状況を理解したのは、その日のある会合でのことだった。

政府(国務院)の国家発展改革委員会関係の複数の研究所の所長など10氏が揃ったこの会合は、中国人でそのとき上海の国際会議に出席していた私の友人で、当時東京経済大学助教授の周牧之氏がアレンジしてくれたものである。
 ここで私がプランを説明し、あることを提案した際に妙な形で会議は終わったのである。
 恥ずかしい話だが、その時、会議が打ち切られたことにすら私は気付いていなかった。私の発言の後に、中国人の何かの発言で通訳が止まったことは気になったものの、ここでも笑顔と握手だったため、提案が受け入れられたと私は勝手に思い込んでしまっていたのである。
 その後、その上海の国際シンポジウムにパネラーとして参加するため、私も上海に向かったが、到着した私を待ち構えていたかのようにその友人がこう詰め寄った。
「会議が打ち切られたのは知っていますか。とにかく北京に戻ろう」
 後から分かったことだが、この会合で私が説明した日中共同の世論調査の実施の問題、正確に言うとその公表の問題が、参加者の警戒心を呼び、通訳を打ち切られたのだという。

私は日中やアジアの共通課題を打開するために議論する本音レベルの議論の舞台を、民間主導で日中間に作りたかった。ただ、この議論を専門家だけの、閉じられた会議にはしたくなかった。会議の内容は公開し、しかも両国のメディアなどで議論の内容を両国民間に伝えないと、本当の意味で相互理解は深まらないからだ。
 だからこそ、私は議論に両国民の民意を反映させようと、両国民の世論調査を毎年実施し、フォーラムの前に公開したいと主張したのである。
 これが、中国側の神経を刺激したのだった。
「研究目的のために世論調査は理解できるが、それを公開するとなると、そこまでは責任は持てない」
 中国側の参加者の一人が、そう言っていたという話を聞いたのはかなり経ってからである。

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