そして今週、松山はオーガスタに送り出された 「チーム松山」しか語れない松山英樹論<後編>

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「選手って無理しちゃうし、無理ができちゃうんですよね。それに、ヒデキの体を誰よりも知っているのはヒデキ自身ですから、最終決定するのは彼です。でも僕はトレーナーとして言うべきことは言うし、仕事としての線は引く。そういう“いい関係”を保ちたいと思っています」

それがわかっているからこそ、松山はあえて「飯田さんには止められましたけど」と私たちメディアに明かしたのだろう。2人の間に“いい関係”は、しっかり築かれている。そんな飯田トレーナーが松山と過ごしていていちばん楽しいと感じるのは、2人で未来を語るときだそうだ。

「夢とか、ゴールとか。これから先のことを一緒に話しているときが楽しい。僕はそうやってヒデキの気持ちを聞きつつ、体をケアして整えて、大ちゃん(進藤大典キャディ)へつないでいく。それが僕の仕事です」

ヒデキは日本のゴルフ界に風穴を開けた

松山のバッグを担ぐ進藤大典キャディは、ロープの内側では松山の唯一の味方である。優勝したときも不調で崩れたときも、どんなときでも松山の最も近くにいる相棒だ。進藤キャディだけが知る松山の顔、松山のつぶやき。そんな諸々をすべて受け止めながらサポートする進藤キャディこそは、縁の下の“最大の力持ち”と言っていい。

「僕がヒデキに初めて会ったのは彼が高校3年生のとき。日本ツアーの会場で阿部監督(東北福祉大学ゴルフ部)や高橋監督(明徳義塾高校ゴルフ部)から紹介されたんです」

そう、進藤キャディから見て松山は中高大、すべての後輩に当たる。

「阿部監督もそうですが、とりわけ高橋監督はあいさつに厳しい方で、ゴルフがどんなにうまくてもあいさつができないのではダメだという教育方針でした。当時のヒデキも礼儀正しくてあいさつのしっかりできる子だなあという印象で、ああ、明徳出身っぽいなあと思いました。当時のヒデキは背は高かったけど体が細くて、あどけない純粋な18歳?19歳?そんな感じでした」

その後、松山が2010年のアジア・アマで優勝し、翌年のマスターズに出場することが大きな話題になった。

「先輩として、すごく誇らしかったです。そのころ、すでに日本のゴルフ界にはリョウ(石川遼)がいたんですけど、ヒデキはプロの世界にさらに風穴を開けたという感じでした」

進藤キャディは日本ツアーのさまざまなトッププロのキャディを務め、当時は片山晋呉のバッグを担いでいた。が、松山の3度目のアジア・アマ(現アジア・パシフィックアマ)、2013年のソニーオープン、タイで行なわれた全英オープン予選などで松山のキャディを務めた上で、正式に米ツアー帯同を依頼された。

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