園芸・ペット・LED照明 今、復興フロントランナー--大山健太郎 アイリスオーヤマ社長《上》

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何とか利益が出るようになると、欲が出た。このまま一生、下請けの親父では終わりたくない。22歳で自社製品の生産に乗り出した。

目をつけたのは、漁業の養殖用ブイだ。瀬戸内海や三重県の漁協に直接、サンプルを送りつけて売り込んだ。ところが、漁業用品を扱う問屋から横やりが入った。「業界秩序を乱すようなことをやるな。うちを通すなら、買ってあげよう」。

結果的に、問屋経由の大口受注でブイの生産が軌道に乗り、農業向けの育苗箱にも進出した。東大阪の工場が手狭になり、仙台に新工場を建設したのが27歳のとき。家業を継いだときに500万円だった年商が10億円に届くまでになっていた。

そこでオイルショックにぶち当たる。73年の石油危機は、最初は僥倖だった。石油がなくなるという恐怖からプラスチック製品に膨大な仮需要が発生。仙台の新工場は竣工直後からフル操業に突入した。が、2年足らずで石油価格が反落すると、一切の需要が消えうせた。

価格は半値8掛け2割引き。それでも売れない。問屋が大山に言った。「値段を下げろ。もっと安い値を出してくるメーカーがあるんだから」。順調なときは味方だが環境が変わると問屋は敵になる。商権を問屋に握られている弱さを痛感した。

大山は倒産寸前に追い込まれた。金策に駆け回ったが、ついに手形をジャンプ。大山は東大阪の本社工場の閉鎖を決断する。150人のうち半数に辞めてもらった。ほとんどが自分より年長であり、社員というより身内同然だった。心底こたえた。

(中に続く)=敬称略=

おおやま・けんたろう
最も重要な会議が「新商品開発会議」だ。毎週月曜日、大山が自ら主宰し、毎年1000アイテムの新商品を送り出す。「今、自動車を作れ、と言われてもできない。だけど、いずれ作るかも知れない。われわれが作ることによってお客さんが満足できるなら。やりたいかどうかではなく、主語はお客さん」。

(撮影:今 祥雄 =週刊東洋経済2012年9月15日号)

記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。

 

梅沢 正邦 経済ジャーナリスト

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うめざわ まさくに / Masakuni Umezawa

1949年生まれ。1971年東京大学経済学部卒業。東洋経済新報社に入社し、編集局記者として流通業、プラント・造船・航空機、通信・エレクトロニクス、商社などを担当。『金融ビジネス』編集長、『週刊東洋経済』副編集長を経て、2001年論説委員長。2009年退社し現在に至る。著書に『カリスマたちは上機嫌――日本を変える13人の起業家』(東洋経済新報社、2001年)、『失敗するから人生だ。』(東洋経済新報社、2013年)。

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