ヤクルト真中監督は一体何を改革したのか 低迷チームを就任1年で優勝に導いた秘訣
リーダーになる準備はできていた
私が監督に就任した際、チームは2年連続最下位という状況でした。そんな状況下で1軍の監督というバトンをもらいましたが、実は自分の中で心の準備はできていました。というのも、現役の最後の方は代打として主にベンチにいましたから、そこから野球を見る機会が多かったんですね。
私が現役時代、野村監督は「試合に出ていない選手は、ただ見ているんじゃなくて、自分が監督になったつもりで試合を見ろ」と常々言っていました。なので、
「俺ならここはピッチャーを代える」とか、「ここはバントだ」といったように、試合をどうやって組み立てるかということはその時から関心がありました。引退後、2軍でバッティングコーチを2年、2軍の監督を3年やらせてもらい、自分がいつ1軍の監督をやれと言われてもいいように、さまざまな準備はしていました。なので、自分なりにヤクルトを「こういうチームにしていきたい」というビジョンは明確にあったんです。
ただし準備ができていたとはいえ、いざ1軍の監督に就任するとさまざまな課題がそこにはありました。2軍の監督時代は、若い選手の人間教育という部分もありましたが、しかし、1軍の監督になると「勝つこと」が大命題になります。組織として強くするためには、コーチ陣の人間関係や、選手の適正な配置など、あらゆるものを整備していく必要があります。まずはそこからはじめました。
最初は、チーム方針を決めるところからです。自分なりに具体的な構想がぼんやりとはあったものの、チームづくりに「型」というものはありません。なぜなら、常に戦う相手の分析をして、それを見て自分たちのチーム状況を照らし合わせ、そこからチーム作りがはじまるからです。
よく「〇〇流野球」という言葉を耳にしますが、あれは後づけです。結果的にそうなるだけで、最初からその人流のマネジメントにスタイルがあるわけではないと思っています。ウチのチームでいえば、バッティングは前年のチーム打率が.279でリーグトップ。点を取る方に関して問題はありませんでした。
課題は投手力。チーム防御率4.62はリーグワーストで、リーグトップのジャイアンツと約1点近い差がありました。当時正捕手に一番近い中村も、打つ方はよく打つもののまだバッテリーのことはよく分かっていない。山田も川端も、守備に関してはよくエラーもしていました。