台南市には、国内外からすでに総額で100億円の義援金や大量の物資が寄せられており、被災地としては異例のことだが、頼清徳・台南市長があえて「これ以上の支援をいただかなくても大丈夫」と表明したほどだった。そのなかで、日本の支援が光った理由は何だったのか。
台南市によれば、日本政府は地震発生の日に事前調査チームの派遣を伝えてきたという。翌日には5人の調査チームが現地に到着。現場などを視察し、台南市から聞き取りを行ったところ、倒壊した複数のビル以外にはこれといって大規模な被害現場がなく、人手や物資は台湾の自前のもので十分に足りていることを確認していた。
日本政府としては、その時点で、地震による水道管の破裂で断水している近隣の住民のための水の援助を決定。JICAを通してシンガポールの貯蔵施設から運んだ4リットルの飲料容器3600本を届けることになった。
ほかの国々が特に聞き取りを行わずに「救援隊を送りたい」などといきなり伝えてきたこと比べて、「日本政府の細やかで現実的な対応に非常に感心させられた」(陳科長)という印象を与えたようだ。
あのビルの跡地は、今どうなっている?
台南という土地柄も、日本とのコミュニケーションがうまく進んだ一因だったかもしない。台南には日本統治時代の建物や民家が数多く残され、そうした日本建築を活用したカフェなどの飲食店も多い。そういう面で、日本文化が台湾社会にとけ込んだ姿がもっとも多く見られ、台湾のなかでも特に親日的な土地柄と言われている。
その台南の震災に対して、実際の被害よりも大きいと思えるような支援が行われたことは、台南の人々にとって忘れられない記憶として今後残るはずで、日台交流史の貴重な1ページになるに違いない。
台南の永康地区にある「維冠ビル」の跡地も訪れた。ビルの瓦礫はすっかり撤去されている。巨大に思えたビルの跡地は意外にもそれほど広くない。倒壊したビルは幹線道路の「永大路」を超えて向かい側の敷地の建物まで押しつぶした。道路をはさんで両側が更地にされ、脇に高く土砂が積まれていた。
現地を案内してくれた永康地区選出の民進党台南市議・郭国文さんによれば、ビルの跡地利用の方法は決まっていないが、住民は現在、それぞれ台南などの各地に分散して避難生活を送っており、家賃など生活への補助は台南市が行っているという。
跡地に同じようなビルをつくって住みたいと思っている人はほとんどおらず、今後は部屋の権利の売却などの交渉が始まるが、台南市が買い取って公園化する可能性も高いようだ。すでにビル倒壊から21日目に全体法要が行われ、「事後処理」はほとんど終わった形になっている。
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