(第15回)<東国原英夫さん・後編>小学生のときの夢「芸人と政治家になる」を実現

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●フランス語でしゃべる先生

 社会人になって早稲田大学に入り、ここでもいろんな出会いがありました。自分にとってこの期間、人生の最大の教科書だったと思っています。
 その中で、先生もいろいろいましたけれど、フランス経済の講義を担当された72、3歳くらいの先生がいらっしゃいました。経済学の概論なのですが、講義中、経済学をずっとしゃべっていて、自分がのってくると、だんだんフランス語になってくるんですよ(笑)。経済学さえわからないのに、それがフランス語になっていってしまい、もっと講がのってくると、今度はフランス語で歌を歌ってくるんですよ。『ラ・マルセイエーズ』とか、凱旋の歌ですよ……これ、意味なくない?(笑)経済学概論に……。でも、あの先生は面白かったな。

●芸人と政治家になる夢

 小学校の頃から「芸人と政治家になる」と言っていたらしいのですが、内容は別にして、実際にそういうものに「なった」ということはなりましたよね(笑)。
 そう思うようになったきっかけのひとつに、サーカスとの出合いがあります。サーカスの芸人さんの中でミゼットさんという方がいて、観客の前で面白おかしく演じてお客さんが大満足して帰って行く。その姿をすごいとも思いましたが、サーカスを呼ぶには政治力が必要なのです。親父がこのサーカスを呼んでいたので、何らかの力がないと呼べないと言うことは、なんとなくわかっていたんですね。ある意味、何でもそうじゃないですか。道路でも、インフラでも、あの頃は相撲の巡業なんかも都城に来ていましたから、そういったことから、政治力というのをおぼろげながらに考えていました。
 人を幸せにするのは、政治力と笑い。自分の中では、政治力というのはハードの部分で、ソフトの部分ではお笑いだったのです。そうしたら「面白い政治家」になればいいじゃないとね(笑)。人を笑わせられる政治家。一石二鳥かな、とね。
(取材:田畑則子 撮影:戸澤裕司


東国原英夫<ひがしこくばる・ひでお>
宮崎県知事。1957年、宮崎県都城市生まれ。県立都城泉ヶ丘高校から専修大学経済学部入学。大学卒業後、テレビの『お笑い君こそスターだ!』(フジテレビ)のコーナーでチャンピオンになり、ビートたけしの一番弟子となる。芸能界で活躍。
2000年早稲田大学第二文学部入学。04年卒業と同時に政治経済学部に入学。06年大学中退。07年宮崎県知事選に立候補し、当選。第52代宮崎県知事に就任。
著書に、『宮崎発日本を変えんといかん』(発行・創美社/発売・集英社)『宮崎で生まれた改革の波は、そのまんま?東へ!』(KKベストセラーズ)『ゆっくり歩け、空を見ろ』(新潮社)など。
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