私を育ててくれたゴルフの神様にお礼という意味で、子どもたちのためのジュニアゴルフ教室を開いていることは前にお伝えしました。そしてもう一つ、今年5月から始めたことが、「青木功 日野皓正 フィールズ ザ・レジェンドチャリティプロアマトーナメント」です。ジュニアゴルフ教室は、子どもたちにゴルフの楽しさを知ってほしいという気持ちからですが、このチャリティゴルフは、病で入院しゴルフをしたくてもゴルフができない子どもたちがいる、そんな子どもたちに早く元気になってもらうための千葉県こども病院などへの寄金集めの大会です。
そんな私や日野皓正の気持ちを友人たちが理解してくれ、ありがたいほど多くの人たちが集まってくれました。芸能界からは石田純一や郷ひろみ、近くに住んでいる柴俊夫、その仲間の渡辺裕之や佐藤浩市の皆さん、プロ野球界からは王貞治、山本浩二、東尾修さんなど。プロゴルフ界からは去年永久シード入りした片山晋呉、それに中嶋常幸や石川遼など、31選手。第1回大会から、こんな豪華な顔ぶれになったものですから、新聞やテレビも大きく扱ってくれました。
テレビのインタビューを王貞治さんと並んで受けていると、王さんが、「われわれ、ファンに支えられてここまできた人間は、こういった大会を毎年続けて、社会に恩返しをすべきだ」と、まるで主催者のように熱っぽく話したんです。
その晩、王さんと食事をしながら「インタビューでこの大会を自分のことのように話していたけど、来年は主催者の一人になってくれるんですか」と聞いてみたんです。「もちろん、私でよろしければ」とご快諾いただき、大会の心強い仲間ができたのです。王さんと私、実は王さんあってのいまの私、と言っても過言ではないのです。
1964年、東京オリンピックの年にプロ入りした私は、鳴かず飛ばずで何年かが過ぎていましたが、それもそのはず。プロテストに合格すれば飯が食えると思い違いをし、さしたる努力をしない時期でした。そんなとき、鹿野山所属の鷹巣南雄から、巨人軍の選手が合宿をするので、一緒に合宿しないかとの誘いがありました。そこにいたのは王貞治、土井正三、柴田勲といった面々。朝晩のトレーニングでは体力的には負けませんでしたが、感服したのは野球にかける姿勢です。体を鍛え体を慈しむ、野球に悪いことは何一つしないのです。何回目かの合宿のとき、私が王さんに勝手に宣言したのです。「俺、王さんをスポーツ選手の鑑にする」と。王さんをお手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームをいただくまでになりました。
そしていま、「王さんと一緒にチャリティゴルフ大会を開ける俺って、なんて幸せな奴だ」と、思っています。
1942年千葉県生まれ。64年にプロテスト合格。以来、世界4大ツアー(日米欧豪)で優勝するなど、通算85勝。国内賞金王5回。2004年日本人男性初の世界ゴルフ殿堂入り。07、08年と2年連続エイジシュートを達成。現在も海外シニアツアーに参加。08年紫綬褒章受章。
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