逆の立場から見ても同様だ。豪州が今見据えるのはアングロスフィア間の連携よりも、むしろインド太平洋での東アジア諸国とのパートナーシップだ。今や豪州では海外生まれが約3割に上り、4分の1の国民が家庭で英語以外の言語を話している。
1942年にシンガポールが(日本軍に)降伏して以来、英国は東南アジアやオセアニアの防衛で何ら重要な役割を果たしていない。アングロスフィアが国際的な存在感を示したのは数十年前、南アフリカでのアパルトヘイトの撲滅に向けた闘いが最後だった。
経済的に見ても同様だ。英国が欧州共同市場に参加してアングロスフィア諸国との関係を断絶したことは、豪州の乳製品産業にとっては痛手だったが、英国はその際、抜け目のない利己主義を発揮した。
そうした利己主義は、残されたわれわれの側にも行き渡っている。豪州の場合、通商の面で鍵となるプレイヤーは米国やASEAN、中国、インド、日本、韓国、ニュージーランドだ。それに米国のフロマン通商代表も昨年10月、EUから離脱するのであれば英国との自由貿易協定交渉に関心はない、と述べている。
郷愁はあっても帰属意識はない
私個人は、イングランドのカントリーウォークやパブへの憧れから(「イギリス見て歩き」を書いた米国人の)旅行作家ビル・ブライソンにだけは傾倒している。しかし、われわれは英国に郷愁を感じることはあっても、もはや帰属意識はないのだ。
今なおアングロスフィアの再起を望む人々は、そうした郷愁に心を奪われた人々かもしれない。しかし、現実は厳しいのだ。英国が仮に、新たなコミュニティに期待してEUから脱退するとすれば、独りよがりな寂しい結末を迎えかねない。
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