株式会社インスパイア代表取締役・高槻亮輔(Part1)--バランスシートを10万社10年分チェックしたのはものすごく役立った

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株式会社インスパイア代表取締役・高槻亮輔(Part1)--バランスシートを10万社10年分チェックしたのはものすごく役立った

■CEOへの道は、職業としての”社長”を選び、第一線で活躍するプロによるトークセッション。将来、経営層を目指すオーディエンスに、自らの経験とノウハウを語る。

--御社はよく“投資・コンサルティング会社”といわれますが、高槻さんご自身のキャリアは銀行が出発点なんですね。慶応義塾大学卒業後、日本興業銀行に入行されています。

大学でマクロ経済学・計量経済学を学んでいました。大学院で経済を勉強し続けてもよかったのですが、社会を見る良いチャンスなので就職活動をしてみようと思ったのです。特に金融に行きたかったわけでもなく、鉄鋼、非鉄金属、香料メーカーなどいろいろな企業の採用試験を受けました。

興銀に決めたのは、会った人が素敵だったからです。もともと計画的な人間ではなく、感覚的な人間なので(笑)。ゼミやサークルの先輩も働いていましたし、あまり深く考えずに「人」で決めましたね。

--1995年、新卒で仙台へ総合職として配属となりました。

95年はいわゆるお金を集める部署、96年は融資の部署でしたが、不景気とはいえ数字的には悪くありませんでした。ところが、97年秋に三洋証券が初めて金融機関同士でデフォルトを起こし、その後、山一証券の破綻などが相次いで起こりました。金融市場は一気に収縮し、仕事も回収保全へと180度状況が変わりましたね。

翌年、希望していた審査部へ異動しました。興銀の審査部には、100人くらいの若手の人間が業種別に企業評価や事業評価を行っている企業調査室という組織があります。私は流通・小売りを担当するグループに所属しまして、伝統的な評価手法から最新のファイナンス手法に至るまで広範囲の専門的知識を得たうえ、審査先企業の実査では通常の銀行員が会わないような方々とも面談してましたね。非常に楽しかった記憶があります。ただ、時代が時代でしたので回収がスムーズにいかない場合は、企業グループの実態を把握して、債権保全回収のために所属する企業を1社1社精査して、精算させていくという案件もやりました。仕事としてですけど、相手の生活や顔を潰していったわけです。20代で、企業のゆりかごから墓場までを見るというのは、とても貴重な経験でしたね。

途中から、与信管理や信用リスクの評価など、審査部の中の企画部署に移りました。

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