オバマ大統領の外交政策はリスクの高い賭け--イラクとアフガニスタンの両方で動きが取れなくなる可能性

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 ソ連軍が撤退すると、米国はアフガニスタンに関心を示さなくなった。アフガニスタンは混乱状態に陥り、それがタリバンの台頭を許すことになり、アルカイダに安全な隠れ場所を提供することにつながった。

米国とNATOは、手間取ることなく、アフガニスタンの首都カブールからタリバンを一掃した。タリバンはイスラム法を極めて厳格に解釈するため、一般のアフガン人はタリバンを支持していない。

米国の支援を受けて、ハミッド・カルザイ率いる民主的な政府の体裁が整った。8月には国政選挙が予定されている。ところが、カルザイ政権は汚職の蔓延で悪名が高く、国民の支持は米軍と過酷なタリバン勢力との間で揺れている。米軍は今のところ、焦点や目標が明確に絞り込めず、また、市民の中に紛れ込んだと疑われるタリバン勢力を攻撃する手段に訴えることが多く、物議を醸している。攻撃の結果として市民に犠牲者が出る度に、タリバンに兵を補充する口実を与えてきた。

また、オサマ・ビン・ラディンやアルカイダ勢力だけではなく、タリバンも、険しい山岳地帯を通って隣国パキスタンの国境地域に入り込んでいる。この地域にはパキスタン中央政府の支配が及んでいない。タリバンは、この地域からアフガニスタン国内の米軍に反撃を仕掛けることができ、アフガニスタンの広い地域を再び制圧した。このような経過をたどる中で、パキスタンも不安定な状態に陥った。パキスタンは核保有国だ。

イラクでの失敗:大方の見方では、米国とNATOはアフガニスタンを守り、タリバンとアルカイダを事実上排除することが可能だったはずだ。ところがジョージ・W・ブッシュ政権はアフガニスタンから目をそらせ、03年3月、イラク侵攻を決断した。

ブッシュ政権は、イラクは独裁者サダム・フセインの下、核兵器を開発しようとしており、それをアルカイダなどのイスラム教過激派に使わせる可能性がある、と主張した。世界の大半はこの見方に同調しなかったが、ブッシュ政権はお構いなしに突き進んだ。

フセイン政権下のイラクでは、少数派のスンニ派イスラム教徒が支配的立場を占め、多数派のシーア派イスラム教徒は二級国民の扱いに甘んじていた。ところが、残忍な統治が行われていたけれども基本的には安定していたイラクの政治体制は、03年の米軍によるイラク侵攻によって崩壊した。サダム・フセインの独裁体制が崩壊してしまうと、シーア派とスンニ派との間の何百年にもわたる宗教的憎悪が頭をもたげてくるのを阻止できるものがなくなった。米国は、フセインの独裁体制からの解放者として統一国家イラクの国民から感謝されるどころか、イラク国内のスンニ派とシーア派とのおぞましい戦争に巻き込まれることになった。

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