戦前にも練られていた「蒲蒲線」構想の全貌

モノレールで蒲田と羽田を結ぼうとしていた

戦後に開業した東京モノレールは浜松町と羽田空港を結んでいるが、蒲田から空港に向かう路線も計画していた

しかし、東京モノレールが計画した路線はこれだけではなかった。同社は「日本高架電鉄」を名乗っていた時代の1961年12月、新橋~羽田空港間の地方鉄道免許を受けて事業に着手したが(新橋~浜松町間は後に中止)、翌1962年3月20日に蒲田~羽田空港間4.1km、同年9月17日には横浜~羽田空港間17.4kmも申請している。東京モノレールも羽田航空電鉄と同様、「蒲蒲モノレール」を計画していたのだ。

ただ、1950年代から1960年代にかけては、当時開業した東京モノレールや湘南モノレールなどのほかにも、全国各地でモノレールの申請が相次いでいた。これらの申請路線は、建設費や採算性などの課題を横に置き、とりあえず営業の権利を確保しておこうとの軽い思惑で申請に至ったとみられる路線が少なくなかった。

東京モノレールが申請した蒲田・横浜~羽田空港間にしても、京急線との競合を考えれば却下されていた可能性が高かったはずだが、「ダメ元」で権利を確保しておこうと考えていたのだろうか。

「蒲蒲線」に「競合」はないが……

東京モノレールは開業後、しばらくはモノレールという新しい乗り物の「モノ珍しさ」もあって混雑したが、オリンピックの閉幕後は高額な運賃が敬遠されて利用者が急激に減り、経営も悪化した。もはや新しい路線を増やすどころではなく、東京モノレールは1968年8月27日、蒲田・横浜~羽田空港間の申請を取り下げてしまった。

それから半世紀近い年月が流れた現在、蒲蒲線の実現に向けた動きが活発化している。蒲蒲線は、京急空港線を活用する形で整備することが想定されているから、並行路線との競合という問題は発生しない。とはいえ、それ以外にも考えなければならないことは多い。

次ページ「優先的に検討」からは除外
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