新幹線駅に生かす青函トンネルの「苦い教訓」 道南の「ハブ」を目指す北海道・木古内町

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青函トンネルを走る特急。地元には開業時の苦い歴史がある(写真 : リュウタ / PIXTA)

木古内町は、新幹線駅所在地としては必ずしも恵まれた条件にはない。町内には、江戸末期に太平洋を渡った咸臨丸の終焉の地・サラキ岬などの観光スポットがあるものの、知名度は城跡のある松前町や北前船の寄港地・江差町など近隣の町に及ばず、入込客数も道内下位に甘んじている。

国鉄時代は、函館につながる江差線と松前線が分岐する交通の要衝だった。しかし、松前線は1988年に廃止され、江差線も木古内-江差間が2014年5月にバス転換した。道立木古内高校は2011年度に廃校。最盛期に1万3000人以上を数えた人口は3分の1近くまで減り、2015年1月現在の高齢化率は43.2%と道内6位の高さだ。

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咸臨丸をあしらった誘客ポスター=木古内町観光協会

地元には苦い歴史がある。1988年の青函トンネル開業時、江差線は「津軽海峡線」に組み込まれる形で電化され、木古内駅には青森-函館間を結ぶ特急が停まるようになった。「皆、きっとよいことがある、と喜んでいた。しかし、何も起きなかった。何の手も打たなかったからだ」。町内の人々は口をそろえる。

調査で何度か通ううち「新幹線の効果を町内で囲い込む気はまったくない。近隣に新幹線駅を活用してもらってこそ町にも効果が生まれる」という言葉を繰り返し聞いた。観光資源で周辺に一歩譲るならハブとして活路を見いだしたい――。北陸新幹線・上越妙高駅を抱える上越市も、同様の意識に立っていたことを思い出した。

子どもの漁業体験でリピーターを

木古内町は8年前から、本州の学校の地引き網体験や民泊を受け入れてきた。

「延べ5000人ほどに上るでしょうか。最初は、広島県の高校に頼まれて、約200人に地引き網を体験してもらった。その後、秋田県北の大館市や鷹巣町から小中学校がやってくるようになり、漁船に乗ったりダイビングをしたり、お寺に泊まったり」と木古内町観光協会の藤谷晃章事務局長。東北地方の内陸で育った子どもたちが初めて本格的に「海」と出合い、その感動が地元で語り継がれて、再訪につながっているらしい。

漁業体験といっても、漁業権の扱いや漁船乗船体験の手続きなど、受け入れ側にはかなりの負担もかかる。何より、ボランティアに支えられた活動で、人件費などをまかなえる段階には至っていない。

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