「けんせつ小町」先輩たちはこんなに苦労した 男社会で働くためにやってきたこと

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清水建設人事部ダイバーシティ推進室長の西岡真帆さん。元祖「けんせつ小町」だ(撮影:風間仁一郎)

「けんせつ小町」という呼び名も、建設業界でようやく定着しつつある。日本建設業協会は、2015年から建設現場働く女性の呼び名を「けんせつ小町」に統一。今後、倍増させていく方針を打ち出している。

西岡真帆さんが入社した頃は、工事現場で働く女性はもちろん、女性の採用自体が少なかった。また、漫画のヒロインとして取り上げられた土木系女子を意味する「ドボジョ」という呼び名さえなかった。

入社当初は、男性から「置物」扱い

西岡さんは1995年3月に旧武蔵工業大学(現・東京都市大学)大学院を卒業後、土木系の総合職として清水建設に入社した(土木系総合職としては2期目)。当時、土木の技術系総合職で入社した場合は、現場に出て現場監督もすれば、内勤で技術開発や設計もやることになっていた。現在のように設計や施工職という職種で分けた採用形態ではなかった。

入社後は、都内の道路トンネル現場の工事係として配属された。さまざまな業者の人が働く現場。経験が長い熟練の職人から見れば、当時の新人女性がなぜここにいるのか、「珍しいものがいる」「小娘の言うことなんて聞いてられない」と思われていた。

「大学時代は土木工学科で周りもほとんどが男性でしたが、自分が女性であることを意識することはあまりなかったですね。でも、会社に入ってから急に女性扱いされることになって、戸惑いというか、このままだと自分が置物のような存在になってしまうのではないかという不安を抱くようになりました」と西岡さんは言う。

当時の現場は土曜日も出勤、朝早くから朝礼があり、先輩からの指示を現場に伝えたり、終業時の後片付けなども現場の男性たちと一緒にしていたが、気持ちは通じていなかった。こうした不安をどう解消していったのか。

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