円満な「主夫家庭」には、共通の心得があった 誰もが「昭和の母」にならなくてもいい

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白河:主夫の皆さんを見ていて、いったいこの人たちは誰に家事とか子育てを教わったんだろうな、と不思議に思います。自分のお母さんがモデルなのかもしれません。奥さんも、第一子なら初めての子どもだから、子育ては教えられませんから。

ただ主夫家庭でも、奥さんが丸っきり子育てをやっていないという家庭はありません。家事はもちろん奥さんも協力してやるし、子どもがいるから早く帰ってくる。その点では、父親不在家庭の逆にはならない。母乳のために、奥さんが働く会社の近くまで赤ちゃんを車で連れて行って通った、という人もいて。そのぐらい涙ぐましい努力をしているんです。

太田:搾乳のために!? そこまでしてくれるんですね。

「昭和のお母さん」を目指す必要はない

白河:そういうことは、主夫の先輩に習ったりもしているようですね。いずれにせよ、今の時代の主夫が「昭和のお母さん」を目指す必要はないと思います。あの頃の専業主婦というのはいちばん手数がかかる大変なことをやっているので、今のご夫婦がそこまでやるのは大変だと思います。

太田:そうですね。私でさえ、自分の母のようになれって言われたらムリですもん。

白河:料理がすごく得意で、だしの取り方にも凝って、それが楽しくてやっている人もいるでしょう。でもこれは、誰もがやらなきゃいけないことではないですね。

昭和的な専業主婦の感覚だと、隣の誰々さんの家の料理はすごいとか、あっちには負けていられないとか、微妙に張り合う、格付けし合うんです。でも、主夫の人はあんまりそういうことで引け目を感じたりすることはないようですね。主夫の誰々さんは料理がすごいんだって、という話はしても、やらなきゃとは思わない。男の人のアイデンティティって、そこじゃないんでしょうね。他人は他人、自分は自分のようです。

この本に収録されている小島慶子さんとの対談で彼女も言っていましたけれど、女の料理って怨念がこもってるんですよね。女たるもの、ちゃんと作らないといけないとか、作れない自分に罪悪感が湧くとか。そういう感覚は男性にはあんまりないみたいですね。

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