「白米好きの日本人」を襲ったヤバい病気の正体

大正期には1年で「約3万人」もの命が奪われた

この脚気という厄介な病気は、江戸時代が終わって、明治、大正時代になっても日本人を悩ませ続けた。特に明治から大正時代にかけては江戸時代よりもはるかに多くの患者を出し続けたとみられており、肺結核と並んで二大国民病とも言われた。

脚気による死亡者数がピークとなった大正12年にはなんと2万6796人もの人々が1年間に亡くなっていた。

明治・大正期に脚気が蔓延した大きな理由は、「軍隊」にあった。明治の世となり、政府は西欧列強に追いつくため「富国強兵」と「殖産興業」をスローガンに掲げたことはご存じのとおり。

特に富国強兵策として明治6年に「徴兵令」を公布し、全国の農村から若者を集めた。その際政府は、若者たちに対し軍隊に入れば1日6合の白米を食べさせると約束したのである。

この条件は当時の農村の若者たちにとっては実に魅力的だった。御一新を迎えるまでは年貢年貢で締め付けられ、ほとんど白ご飯を食べられなかっただけに、それが毎日腹いっぱい食べられるとあって農家の次三男坊は喜んで軍隊に飛び込んだ。そして、白ご飯を食べまくった。このことが脚気患者を著しく増やす原因となった。

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日清戦争(明治27年)では約20万の兵を動員したが、その2割までが脚気患者だった。これは公式に認定された数字で実数はもっと多いとみられている。しかも、患者の大半は陸軍の兵であった。海軍のほうはビタミンの存在にこそ気づいていなかったものの、偏った栄養摂取が脚気の原因であると考え、早くから兵食改革に乗り出していた。そのことが功を奏したのである。

一方の陸軍は、脚気は伝染病の一種で空気感染によって起こるという東大医学部が唱えた説を頑なに支持していて、その後も兵らに与える食事に対しなんら対策を講じなかった。

脚気を食い止めなかった森鷗外の失敗

その結果は10年後の日露戦争でもはっきり表れた。戦病死者3万7200余人のうち、脚気による死者は実に約75パーセントに当たる2万7800人を数えた(『医海時報』明治41年10月)。

この数字から逆算すれば脚気にかかった陸軍兵士の総数は30万人を超えていたとみられている。一方の海軍はこの日露戦争での脚気の罹患者は87人で、亡くなったのは3人にとどまっている。

ここにきてさすがの陸軍も兵食改革に着手するかに思われたが、世の中全体が戦勝ムードに浮かれていたこともあり、改革どころか陸軍幹部の責任も一切問われなかった。その責任を負うべき中心的人物に、当時は陸軍省医務局の幹部だった森鷗外(のちの文豪)がいたことは記憶にとどめておきたい。

その後、明治43年になり、農芸化学の鈴木梅太郎博士が、ぬかの中からビタミンを抽出することに成功する。しかし、鈴木博士は医学者ではなかったため医学界からは何年も黙殺された。これも脚気患者を増やす一因となった。

日本人の永い永い脚気との戦いにようやく終止符が打たれたのは大正時代も末期になってからであった。

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