中後悠平、二度「戦力外」を受けた男の恩返し 理解者だった義父と突然の別れ、激動の1年
「練習場所があることは、本当にありがたいですよね」
神奈川県横須賀市にある横浜DeNAベイスターズの総合練習場で、二度の戦力外通告を乗り越えてきた男が、清々しい汗を流しながら自主トレーニングに励んでいた。その練習後、インタビューを受ける傍らには、3歳になった長男の笑顔がはじけている。
年末恒例となったこの取材も3回目。「今年も、なんとか、首の皮一枚つながりました」と中後悠平が苦笑する。2018年は、彼にとってこれまで以上に激動の1年となった。そしてそこには、プロ野球選手として闘い続ける中後と、今まで語られることのなかった家族との知られざるエピソードがあった。
中後に告げられた二度目の戦力外通告
2015年に千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けた中後は、その翌年からダイヤモンドバックス傘下のマイナーリーグでプレーし、メジャー昇格に挑んできた。その姿は『プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男達』(TBS系列)をはじめとして、さまざまなメディアで既報の通りだ。
しかしその挑戦は、2年半で突如幕を閉じることとなる。2018年6月17日、遠征先での試合を終えて荷物をまとめていた中後は、監督室に呼ばれた。そこで、プロ野球人生で二度目の戦力外を告げられることとなった。
「今年に限ったことではなく、覚悟はずっとしていましたよ。遅かれ早かれ、悪かったらクビを切られることは分かっていたので。一年一年の勝負の中で、今年は結果を残せていなかったので、そろそろあるかなと」
2Aからのスタートとなった今シーズン、中継ぎ投手として24試合に登板し、1勝1敗で防御率は5.29。決して良いとは言えない成績だった。日本とは違って、シーズン中に選手を解雇するのはアメリカでは日常茶飯事だ。
生存競争の激しいマイナーリーグにあって、結果を示せていなかった中後は、シーズン途中での解雇は頭の片隅に常にあった。かくして、中後のメジャー昇格への夢は終わりを告げることになった。