吉本興業のタイ事業を背負うタイ人の正体 韓流に負けない「日本のよさ」をもっともっと
――日本語、お上手ですね。
「えっ、タイ人なんですか」ってよく言われます。父が役人を辞めて日本で起業したのが、僕が4歳の時。14歳まで日本にいて、タイに戻った時は、タイ語が一言も話せなかった。で、バンコクのインターナショナルスクールに入ったんです。振り返ると、それが吉本興業に関わる伏線になりました。
チャリン、チャリンと儲けてください
――というと‥‥。
インターナショナルスクールの友達で、後に芸能人になったのが何人かいる。タイのダウンタウンとかタイの秋元康とか。ある日、タイのダウンタウンのほうから電話が掛かってきた。
「日本で映画を作りたい。何かいい手はないか」と。
その時の僕は、父の会社を継ぎ、コンサルタントをやりながら、日本大好きのタイ人向けにラジオ局を経営していました。けれど、映画のつては何もない。たまたまJETRO(日本貿易振興機構)の人に話してみたら、吉本興業を紹介してくれたんです。
連絡を取ると、「社長の大崎洋が会いたいと言っている」と返事が来た。それが4年前です。
大崎社長に会ったら、「うちもアジアに展開したい。飛行機代くらい出すから、毎月の会議に出てくれないか」と。初対面で、ですよ。
映画の方は吉本がアレンジしてくれて、その年の興行収入でタイの4位に付けた。「じゃ、会社作りましょうか」となって、翌年の2013年10月に「よしもとエンタテイメント(タイ)」を設立しました。出資比率はタイ側が51%で吉本興業が49%。
日本から人を送ってくれるのだろう、と思っていたら、大崎社長が「ウイムさんがいれば、いいでしょう。チャリンチャリンと儲かるような感じでやって下さい」と。
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