1997年に京都議定書が採択されて以来、日本は温暖化対策の優等生であり、毎年開かれるCOP(気候変動枠組み条約の会議)や米国などとの2国間協議において一目置かれる存在だった。最大の温室効果ガス排出国である米国に京都議定書に加わるよう積極的に働きかけを行っていたのが日本である。米国は京都議定書が採択されたときは参加していたが、議会が批准しなかったので、実際には不参加国と同じ立場になっていたからだ。日本は中国に対しても参加するよう促していた。
「京都議定書」は、まさにそのような環境先進国としての日本の国際社会におけるシンボルだったのだ。
しかし、2011年の東日本大震災によって日本の状況は一変した。温室効果ガスの排出抑制にとって頼みの綱ともいえる原発はすべて運転が停止され、緊急の対応策として化石燃料による発電に頼らざるをえなくなったため、ガスの排出が急増した。
それまでの優等生が突然違う方向に歩み始めたので、理屈から言えば白眼視される恐れもあったが、国際社会は日本が大災害を被ったことに同情し、ガス排出の急増もやむをえないと理解してくれた。
リーダーシップを発揮できない日本
2013年からの京都議定書第2約束期間に参加できなかったが、日本を非難する国はなかった。反面、COPにおいてリーダー的役割を果たせない状況が続いている。今回のCOP21で日本が存在感を示せなかったのもそのためだ。
そんな中で米国や中国も参加する「パリ協定」が成立した。今度は日本を取り巻く環境が大きく変わりつつあるということだ。
「パリ協定」は京都議定書のように各国の削減を義務としていない、努力目標に過ぎないという意見があるかもしれない。法的にはその通りだが、世界のすべての国が参加していることから政治的には非常な重みがある。
地球温暖化対策には、そもそも根強い懐疑論があるが、それにかかずらっていては対策が間に合わなくなる。今回、国際社会は、強い対策をすぐに始める必要があると判断して地球温暖化の防止策に合意したのだ。
つまり、「パリ協定」は世界のすべての国・地域が疑問を抱えながらも行動を始めなければならないという考えの下に同志として参加する国際政治運動なのだ。この認識を正しく持たない国は運動に参加しないだけでなく、国際社会から外れていくだろう。
ただし、米国については注釈が必要だ。
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