スズキ「ジムニー」飽きられず売れ続ける理由 発売17年の現行モデルは今でも魅力満載だ
「もうひとつ特徴的なのは、1台の車に10年以上乗る方が多いことです。ボディと別体の頑丈なラダーフレームを使っているので、ボディやエンジンを簡単に積み替えることができます。壊れたら買い替えるのではなく、直しながら乗り続ける車なのです」
ジムニーはライフサイクルも長い。1970年に初代が登場してから2回(1981年と1998年)しかモデルチェンジをしていない。しかし2001年に世界累計販売台数200万台を記録したという数字は、2004年から9年9カ月で同400万台を達成したスズキのコンパクトカー、スイフトと比べるとかなり少ない。
スズキといえば、コストダウンを徹底する企業として知られる。そんなスズキが、ジムニーの存在をなぜ許しているのか、不思議に思うかもしれない。しかし、ジムニーの生みの親は、40年近くこの会社の陣頭指揮を取ってきた、あの人、そう鈴木修会長なのである。
現在もスズキの会長を務める鈴木修氏は、1968年から数年間、東京に駐在している。このとき東京の軽自動車メーカー、ホープ自動車の創業者である小野定良氏との交流が生まれた。同社では軽自動車初の4輪駆動車ホープスターON360を1967年に開発したが、価格がスズキの軽自動車の2倍以上しており、販売網も貧弱で売れなかった。
そこで鈴木修氏は小野氏と交渉し、製造権を譲渡してもらうと、自社製エンジンを積み、独自のデザインを与え、車名をジープとミニを掛け合わせたジムニーとして、1970年に発売した。ジムニーはデビュー直後から着実に売れた。狭い日本の山間部での生活や作業にうってつけだったのだ。
ホープ自動車はON360を最後に自動車事業から撤退し、社名をホープに変え、児童向けアミューズメントマシンに専念。現在はこの分野で80%を超える圧倒的なシェアを誇っている。スズキのその後については、ここで改めて記すまでもないだろう。
ジムニーは誕生以来、ラダーフレーム、前後リジッド式サスペンション、ローレンジ付きパートタイム4WDという基本設計を、軽自動車サイズとともに守り抜いてきた。その間SUVの世界は乗用車化が進み、日本で売られる国産SUVで、この設計を守り続けるのはジムニーだけとなった。
一部で噂が出はじめている次期型ジムニーも、この基本設計を踏襲するという。その頑なさが、生活の足として、趣味の相棒として、カスタムの素材として、オンリーワンの存在になっている。しかもそれが、新車でも150万円以下で買える。愛され続けて当然である。
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