習近平は「現代の雍正帝」なのか? 舛添要一が読み解く "粛清と独裁"の構造、「善意にあふれた悪意の政治」とその限界
雍正帝は朝廷における派閥を解消し、兄弟の皇子のなかで新政に不満を抱く者の族籍を剥奪して監禁し、最有力大臣の罪状を列挙して粛清した。清朝における筆禍事件を「文字の獄」と呼ぶが、雍正帝は特に官位を持つ反体制派を標的にした。
また、科挙制度が官僚の結合をもたらしているとして、科挙出身者の栄職独占を許さず、能力ある人物を登用した。さらには、1729年に軍機処を設けた。これは当初、軍事機密保持のための機関だったが、次第に皇帝の最高諮問機関となり、国政全般を司る最高権力機関となって内閣制度を骨抜きにし、皇帝独裁体制を強化するのに役立った。
習近平の統治を検討すると、以上のような雍正帝の独裁政治に似ていることがよくわかる。たとえば「反腐敗キャンペーン」において、習近平は政権幹部を多数粛清している。2023年7月に秦剛(1966年~)外交部長を、10月に李尚福(1958年~)国務委員兼国防部長を、2025年9月に劉建超(1964年~)党中央対外連絡部長を解任し、10月には人民解放軍の高級幹部9人の党籍を剥奪した。処分された将軍のうち5人は、習近平と縁の深い福建閥であるが、情け容赦なく失脚させている。
独裁の限界
しかし、雍正帝の独裁にも限界があった。「中国は広い。独裁制を生み、それを発達させたのは中国の広さであるが、同時に独裁政治の無力さを嘲笑するのも中国の広さである」と、宮崎市定は記している(宮崎市定『雍正帝──中国の独裁君主』、中公文庫、1996年、175~176頁)。
雍正帝は自分1人に独裁権を集中させたため、天子(皇帝)以外の万民はまったく平等の価値しか持たない。だから、雍正帝は賤民を解放した。しかし、資本家や官僚は利権と賄賂を得ることができず、不満が溜まっていった。雍正帝の統治は13年であったが、それ以上の統治は、官僚と資本家の反撃に遭って不可能だったろう。
また、雍正帝は仕事熱心で1日の睡眠時間は4時間に満たなかったというが、個人の能力と健康からして、このような無理は長くは続くものではない。



















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