「グダグダなプレゼン」に陥る日本人の共通項 その文化が生んだ5つの呪縛を理解せよ
これまで筆者は、法人向けのプレゼン支援に加え、中学生の高校受験の面接の練習、就活生の面接の練習など、人生の各種「本番」のお手伝いもしてまいりました。そのなかで最も印象的だったのが、プレゼンの世界大会に顧客とともに出場したときのこと。登板人数もスピーチの本数も多い数日間だったために、機器等のトラブルが数回起きました。
プレゼン中にトラブル発生!さあどうする?
その際、2種類の顕著な反応の違いに遭遇したのです。ひとつは、まさかのアクシデントにサーっと血の気が失せ、真っ白になった頭からは丸暗記したはずのセリフも消え「自分の今回の出番は終わった――」となってしまったスピーカー。そしてもうひとつは、これもチャンスとばかりにサーカスのピエロさながら手拍子を打ったり腰を振ったりして、会場を味方につけて場を「掌握」しにかかったスピーカー。残念ながら、前者は日本人、後者は欧米人や新興国の方々に多かったのでした。
就活生の面接の場も、用意した質問に対する回答を暗記して答える練習にばかり熱中し、想定外の質問が来たり、どこかでつまずいてしまったりすると、頭が真っ白になって二の句が継げなくなる。
このような事態は、悪しきマニュアル主義や、付け焼刃で勉強をすることの弊害だと説かれることがありますが、筆者はこれらに共通するのは、失敗に寛容ではない文化と、その結果として失敗を恐れる意識が極度に根付いてしまったことにあるとみています。もっとお互いに相手を思いやり、寛容な心持ちでプレゼンターを迎えられるようになりたいものです。
総じて言えば、プレゼンがうまくなるためには、プレゼンをやりやすくする土壌作りが必要です。いくら話す側がスキルを磨いても、環境が整わなくては根を張れません。「文化だから仕方ない」といってあきらめるのではなく、われわれの特性を知った上で、譲れる部分は譲るという心持ちでいたら、きっとプレゼンする側もそれを聴く側も、もっとやりやすくなるのではないでしょうか。教育の現場は徐々に変化すると考えられます。その子たちが育って社会に巣立つ時に、受けて立つ大人の度量も試されるといえましょう。
一連の分析は、孫子の兵法で言う「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の「己を知る」そのものと考えております。「敵を知る」に相当する「スキル習得」については回を改めて書くとして、私たち日本人の特性を知り、もし弱点となりうる部分があればそれを克服するという「己を知る」行為が、グダグダなプレゼンから脱却するために必要な一歩なのです。
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