「グダグダなプレゼン」に陥る日本人の共通項 その文化が生んだ5つの呪縛を理解せよ

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その③「小集団が心地よい」の呪縛

日本人がほかと異なるのは、どの業界、どの階層、どの年代でも、個人が独立して存在しているというよりは、小集団に安住しているという構造ではないでしょうか。まるで「複雑系」の構造のように。日本も雇用の流動性が急速に高まるなど、集団の紐帯もほぐれつつあるのでしょうが、欧米に限らず、中国やインドからASEAN諸国などアジアの国々でも、相対的に個人対個人の関係を基盤とする社会が成立していることは、これらの国々の人と一緒に仕事をした経験のある方なら気付かれるはずです。こうした国々と比較すると、日本はずいぶんと集団を意識して生活している傾向が見られます。

所属を先に名乗るのも集団を意識している証拠

たとえば自己紹介で名前の前に所属を先に名乗ることもその一例。日本では子どもの頃から数名のチームでの発表や群読の機会はあるのですが、個人が切り離されて外の世界で発言するということについては、鍛えられません。そしてそのまま成長し、大人になっても、各人が安住するグループの中で仕事を完結していくことも非常に多いのです。

よって、内輪の会議や飲み会の席では勢いがよく、社内での予行演習ではうまくいく人も、外の世界に泳ぎ出ていざ発言となると、めっぽう迫力が落ちてしまうというケースが多々見られます。これは常日頃、小集団に安住していることが災いしているように思います。

その④「 聞き手が足を引っ張る」の呪縛

前回の記事で、学校教育の場でも、発表をする機会が少ないまま育つという話をしましたが、これは裏を返せば、聴く側に立った場合に、スピーカーの立場に思いを馳せて聴ける人が少ないということでもあります。相槌を打つ、笑顔で見守るなんていうことができないだけでなく、すやすや寝てしまったりする。質疑応答の時間にも質問が出ない。これでは、話す側の人間はなかなか波に乗ることができません。

聴いていないのかと思うと、意外にも講演後のアンケートには要点をついた質問が書かれてあったり、終了後スピーカーとの名刺交換のために列ができたり――。それだったら、もっと話す側の気持ちになって話を聴いてあげてほしいと思います。その善行は、きっと自分がプレゼンする時にめぐりめぐって返ってくると思いますから。

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