2兆円企業ニデックを築いた永守氏が見落とした《エフェクチュエーション》の死角、予測不能な時代にAIではなく「経営の神様」が求められるワケ
この理論では、何が起こるかわからないという状況そのものを、機会として扱う発想が含まれる。つまり、偶然や予期せぬ出来事を単なる障害と捉えるのではなく、そこから新しい価値や機会を見出すという姿勢を重視している。
エフェクチュエーションの考え方は、理論にとどまらず、現実の経営者の行動にも当てはめて考えることができる。例えば、丹羽氏の痛みを引き受けて前に進む意思決定や、永守氏が創業時から成長期にかけて実践した「手中の鳥(すでに持っている資源)」を生かして未来を切り開く姿勢だ。これは日本企業が得意としてきた「現場主導の改善」や「ボトムアップ型の意思決定」にも通じる。それ以降は、手中にない経営資源をM&Aによって取り込んでいく。
しかし、組織が巨大化する中で、大きな目標を達成しようとするあまりに「許容可能な損失」を的確に計算できなくなっていたのではないか。今回の辞任劇はその限界を象徴している。
「永守教」の信者が減ってしまった背景
ニデックにおいては、本来、柔軟であるべきエフェクチュエーションの姿勢が、組織の肥大化とともに「ROI(投資利益率)の最大化」を求める厳格な予算管理へと変質していった。この「目標達成への執着」が現場への過度なプレッシャーとなり、結果として今回の報告書で指摘されたような、利益を捻出するための不適切な会計処理を招いたといえる。
永守氏は九頭竜大社に参拝し、自分の力の限界を認めていた。だが、成功の重みが「小心者の長所」を少しずつ奪っていたのかもしれない。
81歳にして大きな挫折に直面したが、従業員3人から2兆円企業を築いた実績は高く評価できる。筆者は永守氏に何度もインタビューしてきた。永守氏はユーモアを交えて当意即妙に返答した。たとえそれが外面であったとしても、実に明朗快活でパワー全開といった感じの人である。
賛否両論はあるだろうが、その強すぎるパワーが令和では通用しなくなってしまった。努力家で勤勉な永守氏の感覚では、今どきの日本人が怠け者に見えるかもしれない。
だが、時代が永守氏を追い越してしまい、「永守教」の「信者」が減ってしまったのではないか。このような状態にあって、会計不正問題が「棄教」を促したといえよう。


















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