「桶狭間の戦い敗北で転げ落ちるように没落」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」 約230年駿河に君臨した今川家、将軍に次ぐ権勢の凄さ

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駿府城
駿府城公園(写真:m.Taira / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、いったいどんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第4回は、豊臣兄弟が仕えた織田信長が「桶狭間の戦い」に勝利したことで、衰退した今川家について真山知幸氏が解説する。
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将軍家に次いで権勢を誇るほど強大だった「今川家」

織田信長は青年期こそ「うつけ者」と悪評を立てられながらも、いざ家督を継げば、破竹の勢いで戦国の世を駆け抜けた。現代の会社にたとえるならば、急成長したベンチャー企業そのもの(過去記事「自由奔放な織田信長が認めた「一度も失態を犯さなかった男」 大河ドラマ「豊臣兄弟!」個性溢れる戦国武将を支えた右腕の存在」参照)。

ビジネスの世界でも、勢いのあるベンチャー企業の創業者は、風雲児としてもてはやされる。信長は個性ある戦国武将のなかでも、その人気ぶりは別格といっていい。

だが、光があたるところには、必ず影がある。信長が脚光を浴びるなかで、影となったのが、今川義元である。

信長の名を一躍有名にした「桶狭間の戦い」。信長は、わずか3000の兵で、2万5000もの兵力を誇る今川軍を破ったとされている。実際にどれだけの兵力の差があったのかは諸説あるが、大番狂わせによって、信長への評価が高まるとともに、今川家の評価は地に落ちたといっていい。桶狭間の戦いでの敗北をきっかけに、今川家は転げ落ちるように没落していく。

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