『べらぼう』蔦屋重三郎になれる人、なれない人/なぜ同じ努力をしても報われなくなったのか、経済学が教える「AI時代の仕事と能力」

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

この枠組みで見ると、AIの影響はエンジニアやコンサルタントに限らない。

事務職では、定型的な資料作成やデータ集計はAIとほぼ完全な代替関係にある。一方で、部署間の調整や曖昧な指示を具体化する役割は、むしろ重要性を増している。

教員であれば、知識の説明や標準的な問題作成は代替されやすいが、学生がどこでつまずいているかを見抜き、学ぶ意味を納得させる力は補完的だ。

医療の現場でも、画像診断や標準治療の選択はAIが得意とする一方、患者の不安をくみ取り、治療方針について納得を得る説明や最終判断は人間にしかできない。

法律家や士業では、判例検索や書類作成は代替されやすいが、依頼人の本当の争点を見抜き、交渉や戦略を組み立てる能力は補完関係にある。

営業職も同様だ。商品説明や見積もりはAIで十分だが、顧客の本音を引き出し、長期的な関係を築く力は置き換えにくい。

そして見落とされがちなのが、管理職やマネジャーである。進捗管理や報告資料の作成は代替されやすいが、方向性を示し、意思決定の責任を引き受ける役割は、むしろ重みを増している。

共通しているのは、手順が決まった仕事ほど代替されやすく、何をすべきかを定義し責任を引き受ける仕事ほど補完的になるという点である。

蔦屋重三郎は「補完関係」を選んだ

蔦屋重三郎は、そもそも絵師や作家と競争しなかった。

彼が選んだのは、描く人と補完関係に立つことだった。何が求められているかを考える。誰に任せるかを決める。全体の構想に責任を持つ。

これは、現代の職業にもそのまま当てはまる。エンジニアなら、「コードを書く人」ではなく、「何を作るべきか」を設計する人。コンサルタントなら、「資料を作る人」ではなく、「本当の課題は何か」を定義する人。研究者なら、「論文を書く人」以上に、「問うべき問い」を見つける人である。

次ページ私が教科書を書いた理由
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事