国内の民主主義が終わるということは、国民国家という擬制、国家同士の戦争のための動員メカニズムも終わる。戦争は国家総動員の世界大戦から、権力者や、それとつながった一部関係者による、彼らの個別利害のための地域同士の小競り合い、または強者による弱者からの収奪に成り下がっていくだろう。
攻撃を仕掛ける側の国民は、それに無関心になっていく。なぜなら、攻める側は、一部のプロフェッショナル精鋭部隊とドローンなどのコストパフォーマンスのいい兵器による、安上がりな戦争、多少のカネを使えば済むものになるからである。収奪される側は、そのようなプロも力も持っていないから、国民全体が収奪されることになるが。
ここで重要なことは、戦争やそれに類する攻撃が、単に経済的利益のためだけに行われ、それを地域の平和秩序維持とか民主主義を実現するなどという「正義」でカムフラージュすることすらなくなっていることだ。世界は、社会も理念も関係なく、すべては経済的利益が優先する、ということが全面的に確定したのだ。つまり、社会は資本主義に乗っ取られたのである。
前回、「資本主義は、国家が勢力を拡大するために利用した、国家(帝国主義国家と言えばもっとなじみのある雰囲気になるかもしれない)の道具だった」と述べた。逆に言えば、資本主義は国家同士の争いを利用して、国家に寄生して膨張してきたのである。
資本主義という寄生虫も「宿主」の近代民主主義国家とともに死んだ
しかし、今回のことは、資本主義が寄生してきた国民国家、近代社会が寄生虫に乗っ取られてしまった、つまり、食い尽くされて死んでしまった、ということを示している。
資本主義はますます発展し、資本主義の膨張はさらに拡大するのではないか、むしろその証しなのではないか、と思うかもしれない。違う。寄生虫は寄生主(宿主)が死ぬときに死ぬのである。資本主義が膨張しすぎて、社会を乗っ取った。寄生虫が寄生主を乗っ取った、寄生主は死んだ。だから、資本主義も近代民主主義国家とともに死んだのである。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら