当初京都や小倉に投下される予定だった原爆が広島と長崎に投下されたのは、ある「偶然」のせいだったという信じがたい事実

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それらの出来事を通して、1人の人間が神の役を演じ、10万人の命を救う一方、別の場所でそれに匹敵する数の人の命運を尽きさせることになるのだった。ことによると、これほど重大な結果につながった観光旅行は、人類史上他に例を見ないかもしれない。

決定した原子爆弾の投下目標

19年後、京都のモミジからははるか彼方(かなた)のアメリカのニューメキシコ州で、ヤマヨモギが点々と生えた丘陵地帯にある極秘の場所、暗号名「サイトY」に、物理学者と軍人たちの、普通ならありえない一団が集合した。1945年5月10日、ナチス・ドイツの降伏から3日後のことだった。

今や戦争の焦点は太平洋方面に移り、そこではいつ果てるとも知れぬ血なまぐさい消耗戦が続いていた。ところがニューメキシコ州のこの僻地(へきち)では、科学者と軍人には、救世主となってくれそうなものが見えていた。それは彼らが「ガジェット」と呼ぶ、想像を絶する破壊力を備えた新兵器だった。

この兵器の潜在能力の全貌を実証する試験はまだ成功していなかったが、サイトYにいた人は誰もが、それが間近であることを感じ取っていた。その成功を見越して、13人が目標検討委員会に加わるように求められた。この委員会は、ガジェットをどう世界に披露するかを決めるエリート集団だった。

どの都市を破壊するべきか? 彼らは、東京を目標にするのは得策ではないということで意見が一致した。激しい爆撃によって、この新しい都はすでに荒廃していたからだ。代替案を比較検討した彼らは、ある都市を目標にすることで合意した。最初の原子爆弾を投下する場所は、京都に決まった。

京都には戦時下に新設された軍需工場が集中しており、そのなかには、飛行機のエンジンを毎月400基生産できる工場もあった。そのうえ、かつての都を破壊すれば、日本人の士気に決定的な打撃を与えることになるだろう。目標検討委員会は、小さな、それでいてきわめて重要と言えそうな点も指摘した。

京都は教養のある人々が暮らす知性の中枢であり、名門の京都帝国大学があった。生き延びた人は、この兵器が人類史における新時代を象徴していることに気づき、戦争にすでに負けたことを悟るだろう、と委員たちは考えた。目標検討委員会の意見はまとまった。破壊するべきは、京都だ。

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