韓国の「国民俳優」安聖基氏が死去、韓国の映画史をつねに代表してきた大物俳優、日本映画にも出演し文化交流の大事さを伝えてきた

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自由な魂を持つ物乞いから厳格な大統領、また、ずる賢い刑事から苦悩に満ちた軍人まで。まさに韓国を代表する俳優だった。過去69年間、映画で観客を感動させ続けた安氏に、「国民俳優」という称号は決して誇張ではないだろう。人生の大半を映画人として生き、韓国映画史を貫いた人生だった。

安氏は52年、韓国南部・大邱(テグ)で生まれソウルで育った。父の安和栄(アン・ファヨン)氏が映画監督のキム・ギヨンと友人だった縁で『黄昏列車』(57年)に子役として出演し、映画界に足を踏み入れた。その後、約70編の映画で子役として活躍。キム監督の『10代の反抗』(59年)でアメリカ・サンフランシスコ映画祭特別賞を受賞した。

子役からスタート、「千の顔を持つ」俳優に

学業に専念するため、中学3年の時に撮影した『若いケヤキ』(68年)を最後に演技を辞め、韓国外国語大学ベトナム語科に進学した。その後、専攻であるベトナム語を生かして就職しようとしたが、容易ではなかったという。これが安氏が10年ぶりに映画界へ再び目を向けるきっかけとなった。

それまでの作品で子役のイメージを脱ぎ捨て、立派な映画人としての存在感を示したのは、イ・チャンホ監督の『風が吹く良い日』(80年)でだった。中華料理店の配達員として苦労しながらも夢を失わない青年トクベ役で、朴正煕(パク・チョンヒ)から全斗煥(チョン・ドゥファン)へと軍事政権が続く重苦しい社会雰囲気の中で、当時の若者たちに大きな希望を与えた。この作品で彼は、韓国最高の栄誉である大鐘賞映画祭で新人賞を受賞した。

安氏は、役柄を選ばない「千の顔」を持つ俳優だった。林権沢(イム・グォンテク)監督の『曼荼羅』(81年)では僧侶を演じ、裵昌浩(ペ・チャンホ)監督の『鯨とり』(84年)では物乞いを演じた。鄭志栄(チョン・ジヨン)監督の『南部軍』(90年)と『ホワイト・バッジ』(92年)では、それぞれ朝鮮戦争当時のパルチザンと、ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士としての記憶に苦しむ小説家に変身した。

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