「忘れられていた日本人」フィリピン残留二世/いまだ清算されていない戦後

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フィリピン残留二世の聴き取り調査を続けてきた大野俊・京都大学東南アジア地域研究研究所連携教授(左)。バナイ島イロイロ州の農村部に残留した沖縄県人を両親に持つ宮里千鶴子さん(中央)と彼女の娘(右)(写真提供:大野俊)

2025年は、戦後80年としてさまざまな観点からの振り返りが行われた年だ。そうした中で、日本という国家がいまだに清算していないアジア太平洋戦争後の課題を正面から取り上げた本が今月出版された。

『忘れられていた日本人ーフィリピン残留二世の終わらぬ戦後』(高文研)の著者は、このテーマを40年近くにわたり追い続けた大野俊・京都大学東南アジア地域研究研究所連携教授だ。彼は新聞記者時代、あるきっかけから現地で長期にわたって取材し、その後、研究者に転じてからも調査を重ねた。同書はライフワークの集大成である。

日本軍の進駐で悲惨な暮らしを強いられた二世

フィリピンは20世紀初頭来、日本人の出稼ぎ先の1つだった。道路建設にはじまり、マニラ麻(アバカ)の栽培で成功する人も出て、3万人ほどが入植した。これは、在留邦人数としては現在の2倍以上の規模である。

南部ミンダナオ島ダバオには最盛期、約1万8000人が住み、東南アジア随一の豊かな日本人社会を形成していた。移住者の多くは男性で、現地の女性を妻として家庭を築いたケースも多かった。

1941年12月、日本軍が進駐したことで平穏な日々は打ち砕かれた。在留邦人(一世)の多くが徴用され、通訳や戦闘員として戦争に協力させられた。

それまで近所づきあいをしていた現地の人々の敵となった。米比軍との戦闘や逃避のなかで多数が犠牲となり、敗戦まで生き延びた人は日本に強制送還された。

残されたフィリピン人妻や子供(二世)は日本軍の残した負の遺産を一身に背負わされ、憎悪と差別の中で極貧の暮らしを強いられた。

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