「忘れられていた日本人」フィリピン残留二世/いまだ清算されていない戦後

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石破茂首相(当時)は25年3月の参議院予算委員会で野党議員の質問に答えて、国費負担で残留二世の訪日を実現し、親族探しを支援する意向を表明した。翌4月の訪比時には3人の二世と面会し、8月にはその1人である竹井ホセさん(82)の国費訪日が実現した。

ところが東京家裁はその後、竹井さんの就籍許可の申し立てを却下した。DNA鑑定で父が日本人と証明され、異母弟も認めている。それでも父が認知していた事実は認められないとの理由で却下された。

旧満州に置き去りにされた中国残留邦人に対して日本政府は支援法を制定し、来日の機会を与え、定住事業を実施した。フィリピンの残留二世にはこうした措置が一切講じられていない。解決には政治決断による一括救済しかないが、関心を寄せる政治家は少ない。世論の後押しもまだ弱い。

大野氏の執念と根気

大野氏がこの問題に取り組み始めた86年に私も初めてフィリピンとの関わりを持った。

南ダパオ州の山間地に残留した「最後の日本兵」の子孫から聴き取り調査(写真提供:大野俊)

新聞社は違えど同じ大阪社会部に籍を置き、私は大阪府警を担当していた。「ピープルパワー革命」により国を追われた独裁者マルコス大統領(現大統領の父)一家がアメリカ・ハワイに逃避してきた時、たまたま事件取材でホノルルに居合わせ取材することになった。

その年の10月にはこれまた事件取材でフィリピンに初めて出張した際、三井物産のマニラ支店長が誘拐される事件に遭遇して2カ月ほど滞在した。ちょうど大野氏が二世を訪ね歩いていたころだ。

その後、大野氏がマニラ特派員だった時期に私もフィリピン駐在となった。私も二世について、通り一遍の記事を書いているが、深追いすることはなかった。こうした因縁もあって、このテーマを一貫して追い続けた大野氏の粘り強さと執念には頭が下がる。同業者として深く敬意を表したい。

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