《老後は都会生活が便利》投稿に地方民が猛反論、「電車の待ち時間がムダ」「荷物を車で運べない」との声も…"泥仕合"の中で見過ごされる視点

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こう考えると、結局「車に乗れる運動能力や認知機能があるかどうか」が、地方社会においては「人権」そのものである。そして、高齢者はその「人権」を失いがちなのである。

その意味では、元のポストの通り、高齢者の地方暮らしは「地獄への一本道」なのかもしれない。

丸亀
ちなみに、筆者の故郷・丸亀のシャッター商店街の様子はこちら。悲しいかな、なんとも寂しい風景……(写真:筆者提供)

都会だって、元気じゃないとだいぶキツい

一方、車に依存していないから都会が便利で暮らしやすいのだ、というのも、実は真理ではない。

高齢者からすれば、都心部では都心部なりの苦労がある。

例えば、休む場所ひとつとってもそうだ。これは近年、筆者が各所で書いていることだが、東京などは気軽に休める場所が少ない。デカい公園はあるが、ビル街の中にちょっと休める、というような場所がほとんどないのだ。「疲れたから少し座ろう」と思うと、どこかの店に入るしかなくなる。

それに、どこでも人は多いし、交通機関は混みまくっている。「人酔い」なんて言葉があるが、ただ同じ空間に大量の人がいるだけで疲れるものである。

それに、文化施設などが充実していてコミュニティも持ちやすい、というのは、そもそもが「元気である人」前提の議論であろう。確かに、東京にはモノや情報、サービスがあふれている。ただ、むしろあふれすぎていて、自分自身から積極的に探しに行かなければならない。それをするためにはそれ相応の「気力」がないといけないが、どうにもこの「気力」を奮い立たせるのは難しい。

渋谷
渋谷付近の風景。ビルはこんなにあるのに、休憩所は本当に少ない(写真:筆者提供)

都会は、「元気」であれば、楽しい。たぶん(あるいはお金を豊富に持っていれば)。

でも、それって結局、「田舎は健康で車が運転できれば楽しい」ということと同じことではないか? 結局、「元気かどうか」がすべてを決めるのだ。

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