箱根駅伝、エース区間の「2区」を託される条件とは?《「 留学生強し」に変化の兆し》エース対決にドラマあり
花田が早稲田大学の4年生で2区を走った時代もそうだが、留学生たちは日本の学生のエースの前に立ちはだかってきた。1989年の第65回大会、山梨学院大学のジョセフ・オツオリが留学生として初めて2区を走り、第67回まで3回連続で区間賞を獲得した。
その後、第82回大会から第85回大会まで、同じく山梨学院大学のメクボ・ジョブ・モグスが区間賞を獲り、第95回大会では日本大学のパトリック・マセンゲ・ワンブィ、第97回大会では東京国際大学のイエゴン・ヴィンセントが、第101回大会では同じく東京国際大学のリチャード・エティーリが区間新を達成している。
オツオリが出走した第65回大会から第101回大会まで37大会中、留学生が区間賞を獲得したのが17回、そのうち区間新を出したのは、第70回大会のマヤカ、第84回、第85回大会のモグス、第97回大会のヴィンセント、第101回大会のエティーリの5回になる。
“留学生強し”の印象があるが、以前ほど留学生との圧倒的な差がなくなっている。
第98回大会で駒澤大学の田澤廉(現・トヨタ)が区間賞を獲ったとき、創価大学のフィリップ・ムルワ、イエゴン・ヴィンセントを含む5人の留学生が出ていた。区間2位から5位までが留学生で、田澤が留学生を制した。
第99回大会で区間賞を獲得した中央大学の吉居大和(現・トヨタ)のときも、留学生は5人出走していた。第101大会の区間賞はリチャード・エティーリだったが、創価大学の吉田響(現・サンベルクス)と青山学院大学の黒田朝日がともに区間新を出している。
食らいつこうとする日本人選手の奮闘
花田は、日本人学生の気持ちの持ち方に変化を感じるという。
「今の日本人学生は、留学生との間に垣根がないというか、彼らに勝たないと世界に行けないという意識で戦っていると思うんです。
そのせいか、毎回、記録が出るようになっていますし、留学生を上回ることもある。最近のマラソンの世界のトップのほとんどは、ケニア、エチオピアといったアフリカの選手たちで、綿密でハードなトレーニングを行い、最新のシューズを使いこなします。
でも、日本に来ている留学生は、まだそこまでのレベルにない選手たちが多いことや、逆に日本の学生のほうが高地トレーニングをやったり、最新のシューズを使いこなすための筋力トレーニングをやったりしている。力そのものも上がっていて、差が詰まってきているのかなと思います」
「留学生は異次元なので」ということは以前はよく聞いていたが、最近はかなわないとあきらめるのではなく、彼らに勝てば自己ベストや将来にも繫がるという意識で対峙しているので、食らいついていく姿が見られるようになった。
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