新たな時代の扉を開くのは誰か?——。エースが駆ける箱根駅伝"花の2区"、近年の変化《加速する記録更新の流れ》
その渡辺の記録を更新したのが、1999年の第75大会、順天堂大学の三代直樹で1時間06分46秒だった。このとき自身も花の2区を走った早稲田大学競走部駅伝監督の花田勝彦は、まさかと思ったという。
「三代君が渡辺君の2区の記録を抜いたときは、驚きでした。渡辺君の記録はしばらくは抜けないだろうと思っていたので、箱根前にアナウンサーに聞かれたときも『当分は抜かれないと思います』と話したんです。
アナウンサーの人もそういう話をしていたら、三代君があっさり抜いたんですよ。絶対に抜かれない記録はないんだと、そのとき、思いましたね」
三代の記録を抜いたのが、山梨学院大学のモグスだ。2008年の第84回大会(23.2キロメートル)で1時間06分23秒をマークし、続く第85回大会でも1時間06分04秒を出して区間記録をさらに更新した。2020年の第96回大会では東洋大学の相澤晃が現距離の23.1キロメートルになった2区で、1時間05分57秒と、初めて5分台をマークした。
翌年、第97回大会で東京国際大学のヴィンセントが1時間05分49秒で相澤の記録を更新し、“最強の留学生”の区間記録はしばらくは破られないと多くの人々が思っていたはずだ。
ところが、第101回大会で吉田響と青山学院大学の黒田朝日が区間記録を更新し、エティーリが1時間05分31秒の区間新をマークした。花田の言葉どおり、破られない記録はない。
ただ、2区の記録が、これだけ短期間で更新されたのは過去に例がない。相澤が2009年のモグスの区間記録を破るのに11年もの時間を要したが、その記録を翌年にヴィンセントが抜き、その4年後にエティーリが更新した。個人の運動能力の向上と、シューズのテクノロジーの融合による記録更新の流れは、今後も加速していきそうな気配だ。
実際、第101回大会では全10区間中、2区、5区、6区、7区の4区間で区間記録が上書きされた。エティーリの記録を更新するのは、彼自身になるのか。それとも“令和の怪物”と呼ばれるような新たな選手が出てくるのだろうか。
2区の難しさについては、以前から、「2区を走れる選手は5区も走れる。でも、5区を走れるからといって2区を走れるわけではない」と言われてきた。
2区を駆けたあと、5区で結果を出した選手の歴史を振り返ると、ビッグネームが続々と出てくる。順天堂大学の今井正人は、1年時に第80回大会で2区(10位)を走り、2年時の第81回大会から3年連続で5区を走った。第81回大会、第83回大会で区間新をマークして、「初代・山の神」になった。
東洋大学の設楽啓太も1年時、第87回大会で2区を走り、区間7位。その後、2年時は区間2位、3年時は区間3位と2区で結果を出し続けたが、4年時の第90回大会では5区区間賞を獲る走りを見せ、チームの2年ぶり4度目の総合優勝に貢献した。
駒澤大学の村山謙太は、1年時、第88回大会で2区を9位で走り、第89回大会で5区8位、3年で区間2位と好走し、4年時は2区で区間4位だったレアな選手だ。神野大地は、第90回大会で2区6位の成績を残したあと、第91回大会で5区区間新を出して「3代目・山の神」となり、青山学院大学の初の総合優勝に貢献した。
こうした結果を見てみると、駅伝界で流れていた「2区を走れるものは5区も走れる」という言葉は、リアルなものであったとわかる。
そして今、2区から5区に挑戦している選手がいる。城西大学の斎藤将也は、第99回大会で2区15位、第100大会で2区8位、第101回大会では5区を駆け、区間3位になった。
城西大学の先輩、山本唯翔(現・SUBARU)は第99回大会、第100回大会と5区で2年連続で区間新をマークし、「山の妖精」といわれたが、齋藤は、第102回大会で“山本超え”を目指しそうだ。
2区から5区のコンバートはレアケースに?
今後、2区から5区のコンバートは、レアケースになっていくのではないか。距離が長かった時代のメリットがなくなり、あえて移行させてまでエースを配する理由がなくなった。
今、5区の走者はスカウティング時や入学時から目星をつけ、適性か否かを見極めて、早い段階から山に特化したメニューで育成強化している。コンバートであれこれ頭を悩ますよりも、最初からスペシャリストを育成、確立したほうが、選手にとっても駅伝の戦略を考えるうえでもメリットが大きいからだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら