新たな時代の扉を開くのは誰か?——。エースが駆ける箱根駅伝"花の2区"、近年の変化《加速する記録更新の流れ》

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それゆえ、エースが2区に入ることになる。さらに、誰が2区を走るのか——。各校をはじめ、駅伝ファンも大注目となる。

ただ、ここ最近、2区に限っていえば、この区間配置を推察する必要がほとんどなくなっている。なぜなら、トラックシーズンや出雲駅伝、全日本大学駅伝を見て、エースが誰であるかを容易に理解できるからだ。

さらに、監督自身が事前に2区を誰が走るのか、匂わせ発言したり、ストレートに名前を出したりしている。そして、選手にとって2区を走る意味はとてつもなく大きい。

相澤晃(東洋大学—旭化成)が、「その後の自分のキャリアを軌道に乗せるキッカケになった」と語るように、2区のトップを獲ることで自信をつけ、実業団にいい流れで入ることができた。

また、テレビ放映で、全国に長く映し出されるので知名度が飛躍的にアップする。ここで名前が全国区になった選手が多く、メリットは非常に大きい。エースが集合するので、2区の顔ぶれはいつも華やかだ。学生トップランナーが集う「オールスター戦」みたいなものだ。

多くの中高生のランナーたちが、「箱根駅伝が目標です」「箱根を走りたい」と憧れるが、希望区間は2区か5区がほとんどだ。

両区間ともに目立つからでもあるが、5区は「神野大地さんのようになりたい」「柏原竜二さんのように走りたい」と個人名を挙げたり、「山の神」の呼称に憧れたりする選手が多い。

一方、2区は、単純に「華やかな舞台を走りたい」「2区で勝負してみたい」という選手が多い。憧れもあるだろうが、自分の走力を試したいという原始的かつ本能的な欲に素直な感じだ。

「初代・山の神」の今井正人(現・順天堂大学陸上競技部長距離ブロックコーチ)も高校生の頃、箱根を走りたかったが、「5区はまったく考えておらず、トップが集まる2区を走りたいとずっと思っていた」という。

箱根を目指す選手たちにとって2区への憧れは不変で、他区間を任された選手も「一度は2区を走りたい」と口にする。「みんな、ヒーローになりたいんですよ」 徳本一善(現・芝浦工業大学駅伝部監督)は、そう言う。次は、いったいどんなヒーローが誕生するのだろうか——。

記録更新のスパンが短くなっている

2区の醍醐味は、対決以外にも区間記録を出し、歴史に名前を残すところにもある。

「やっぱり区間記録を出して、歴史に自分の名前を残したいですよね。あと少しだったので、そこはすごく残念です」

第101回大会で区間新を出しながら東京国際大学のリチャード・エティーリに12秒及ばなかった創価大学の吉田響は、2区を走り終えたあと、そう言って苦笑した。

2区で区間新を出した選手は、いずれもわれわれの記憶に残る選手ばかりだ。第31回大会で、2区が21.2キロに制定され、その後、距離が何度か変更されているが、印象として残っているのは1979年の第55回大会で2区(24.4キロメートル)を駆けた早稲田大学の瀬古利彦だろう。瀬古は第56回大会でも1時間11分37秒で区間新をマークしている。

次は、第70回大会(23キロメートル)で山梨学院大学のステファン・マヤカが区間新(1時間07分34秒)を出したが、翌年の第71回大会で早稲田大学の渡辺康幸が1時間06分48秒で区間記録を更新した。「区間記録しか狙っていなかった」という渡辺が、魂のこもった走りでマヤカを超え、区間新を出したシーンは感動的だった。

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