こう見てみると、官がヴィジョンを作り、リードし、それとは独立して民間の生産者(企業)が情熱と努力を傾け、すばらしいファンが、大衆馬主にもなって、安定した素晴らしい消費者としても資本家としても、経済社会全体で支えたのである。これほど、官・企業・市民がうまく有機的にかつ自発的にかつボトムアップ的にも連携できてきた産業があるだろうか。このような形が、産業政策の理想なのである。
さらに言えば、JRAがいい組織になったのは(もちろん欠点もあるが)、競馬人として国会議員として戦後、日本競馬の再興に尽力した、故・安田伊左衛門・日本中央競馬会初代理事長(1872~1958)の存在がある(毎年6月に行われるG1安田記念は彼の功績を称えるものである)。つまり、よい官を作り、リードする情熱的で信念を持った政治家がいたのである。政官財そして市民の連携なのである。
さらにさらに言えば、「運」の要素も大きい。1980年代に日本経済が世界を席巻するほど強かったことが、ファンの広がり定着と日本馬の生産の基礎を作った。タイミングである。そして、ノーザンテースト、サンデーサイレンスがあそこまで成功したのも、やはり「運」がある。政治が本気になれば何でもできるというのは大間違いで、運は大きいのであり、あくまで、政治は、情熱と忍耐と大きな器で、「人事を尽くして天命を待つ」のである。
そういう謙虚さが必要で、世の中を支配できる、動かせるという思い上がりは必ず失敗につながるのである。トップダウンで力任せに産業政策を行うのではなく、日本社会の特性を十分に深く理解して、それにあった、丁寧な政策をデザインする必要があるのである。
スポーツベッティングの波は日本にも押し寄せる
最後に今後の課題、ヴィジョンを述べておこう。ここまでバラ色の日本競馬を描いてきたが、将来に対しては悲観的な面もある。第1に、スポーツベッティングの波は日本にも来るだろう。サッカーだけでなく、野球やバスケットボールなども自由に予想でき、賭けができれば、そちらの方が競馬に比べて圧倒的に優位である。
なぜなら、人々は、賭ける前から野球もサッカーもファンであり、なじみがあるからである。また、施行のコストはかからない。競馬は賭けをさせるために、競馬産業を作らないといけない。スポーツベッティングは、そのコストはゼロである。敵わない。これに対しては、競馬をこれまで以上に魅力的なスポーツ、イベントとしていくしかない。賭けの対象ではなく、お祭り、エキサイティングなイベントとしての魅力を増すしかない。それにはドラマが必要である。



















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