一方、民間の生産者達の努力や執念もこれと並行して、いやこれ以上に日本競馬の発展に寄与した。現在、日本生産の競走馬たちが世界一強いと言えるのは、何といっても社台グループの創業者である故・吉田善哉氏(1921~1993)のおかげである。
ノーザンテーストとサンデーサイレンスが日本競馬の幕開けに
善哉氏については語るべきことは山ほどあるが、今回の文脈で言うと、まず、共同馬主クラブを日本で最初に作ったのも善哉氏である。そして何よりも、日本馬の血統を世界一流に押し上げたのは、社台グループが輸入したノーザンテーストそれとサンデーサイレンス、この2頭を輸入したことが最大の要因である。
ノーザンテーストは、その父、ノーザンダンサーの血が世界の競馬に革命を起こす気配がわずかに出始めたとき、いち早くその子を獲得するために、息子の吉田照哉氏(現社台ファーム代表)を米国のセールに送りこみ、照哉氏が独自の相馬眼でノーザンテーストを買ったことが、日本競馬が世界一になるための幕開けとなったのである。
サンデーサイレンスは1989年の米国2冠馬であったが、善哉氏が米国に持っていた友人との信頼関係および、当時の日本円の強さもあって、約20億円で購入することができたのである。
これは、ノーザンダンサーが世界を変えることを予見した善哉氏の先見性および、欧州よりも米国競馬、米国血統が世界の主流の馬を作っていくと判断した善哉氏のホースマンとしての総合的な力である。だから、JRAが旗を振ったのではあるが、それと並行して独自に力を発揮した偉大なホースマンがすべてを生み出したのである。
ただし、吉田氏、社台グループが20億円を出せたのは、あるいはこれらのすばらしい種牡馬の大成功を支えた欧米から多数の超良血繁殖牝馬を輸入することができたのは、社台グループがノーザンテーストの成功で多額の資本を蓄積できたことがあげられる。
その理由は、JRAの手厚い賞金体系であった。この賞金体系が可能になったのは、そして、JRAが馬の生産や調教のために多額の投資ができたのは、馬券の売り上げが大きく持続的安定的に伸びたからである。それはファンの多様性のおかげ、というのは前述のとおりであり、この豊かなファン層の成立には日本社会の特性が大きく貢献していた。



















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