「宗教はビジネスだ」と言えるこれだけの理由…お金と人を獲得するための競争を勝ち抜いてきた組織を、アダム・スミスはどう分析したか
競争相手には、潜在的に自分たちと同じくらい人々の心を摑む力を持っているほかの宗教団体に加え、世俗のライバルや、人々の無気力や無関心、懐疑心、あるいは敵意といったものも含まれる。経済的な資源の乏しい宗教団体は、どれだけ美しい言葉で教えを説いても、世の中の雑音にかき消されてしまい、なかなかそれを人々に聞いてもらうことができない。魅惑的で優美な外見の内に、強固な組織の力を持つのが宗教なのだ。
宗教は互いに競争しているといっても、レストランのオーナーや、ワインの生産者や、劇場の支配人や、バイオテック企業やITのスタートアップ企業の経営者以上に、欲深いとか、利益を追求しているなどといいたいわけではない(中にはそういう宗教もあるかもしれないが)。
宗教は情熱やプラグマティズムを原動力とするものだとしても、存続し、発展を遂げるために必要な経済的資源や人的資源を獲得しようとすれば、競争はどうしても避けて通れない。
宗教は「合法的な」ビジネスである
つまり宗教はビジネスであるということだ。ほかのビジネス同様、宗教にも多くの側面がある。宗教のコミュニティは、外部の人間にとっては、気づきを与えてくれるものであることも、恐ろしさを覚えるものであることもある。
新たに加入した信者にとっては、向上心を刺激してくれるものであることも、退屈させられるものであることもある。宗教に人生や有り金を捧げた人にとっては、充実した時間を過ごさせてくれるものであることも、落胆させられるものであることもある。
しかしいずれの場合であっても、宗教は合法的なビジネスだ。この事実は、宗教に批判的な者たちをひるませるだけでなく、宗教も社会に対して、ほかのビジネス同様、責任を持たなくてはならないと主張する者たち(その中には宗教の支持者も、批判者もいる)に力強い論拠を与えもする。



















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