「宗教はビジネスだ」と言えるこれだけの理由…お金と人を獲得するための競争を勝ち抜いてきた組織を、アダム・スミスはどう分析したか

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スミスが興味を持ったのは、経済的なインセンティブが教会の教えの伝え方だけでなく、教えの内容にどのような影響を及ぼすかという点だ。これは生死に関わる問題だった。

当時のヨーロッパでは、三十年戦争の終結まで100年以上にわたって続いた苛烈な宗教戦争の余波がいまだに残っていた。宗教に端を発する暴力が断続的に発生していて、フランスのユグノー(カルバン派プロテスタント)など、少数派に対する弾圧もなくなっていなかった。

スミスは1764年、南フランスのトゥールーズに長期滞在中、『諸国民の富』の執筆を始めた。トゥールーズはそれまで2年にわたって、プロテスタントの商人ジャン・カラスが無実の罪で処刑された「カラス事件」をめぐって、抗議行動が収まらず、荒れていた。カラスは息子を殺したという容疑をかけられたが、息子の実際の死因は自殺だった。

ところが裁判では、カラスが息子のカトリックへの改宗を阻止しようとして殺害に及んだとされた。哲学者のヴォルテールもこの事件に注目し、カトリックの不寛容さを攻撃するときに引き合いに出している。宗教や暴力や、迫害が社会を揺るがしている時代だった。スミスはなぜ宗教が騒乱を引き起こすのかについて、真剣に考えたに違いない。

ヴォルテールは宗教を本質的に不寛容なものだと考えているかのようなことをたびたび書いていた。実際、宗派に属している人の多くは、他宗になんらかの不寛容さが見られると、それをその他宗の特質としてあげつらった。

置かれた状況で教えは変わる

スミスの見解は違った。ある宗教の教えが寛容さを促すものであっても、不寛容さにつながるものであっても、それらはその宗教にもともと備わっている性質の現れではなく、宗教指導者が置かれた状況から生まれた動機によるものだと、スミスは述べている。

ほかの分野でも一般の人にとっては競争が「有益」で、独占が「有害」であるのと同じで、数多くの宗教が同条件のもとで競争すれば、おのずと慈悲の教えを説かざるを得なくなるとスミスは考えた。

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