「宗教はビジネスだ」と言えるこれだけの理由…お金と人を獲得するための競争を勝ち抜いてきた組織を、アダム・スミスはどう分析したか
宗教は代々受け継がれている創設者の理念だけでなく、組織という観点からも理解されなくてはならない。マイクロソフトやアップルといった企業がなぜ成功したかを十分に説明するためには、創業者が高校時代に親のガレージでプログラミングに没頭していたというような逸話だけですますわけにいかない。現在のそれぞれのビジネスの構造や、事業計画の詳細や、企業文化といったものも理解する必要がある。
宗教も同じだ。宗教団体の成功の要因を解明するためには、幅広い研究が求められる。
古くからある宗教と経済の結びつき
大勢の人々の心を動かす超俗的な教えの力が、経済的な競争という世俗的な制約によって築かれるというのは、奇妙なことに思えるかもしれない。しかし、18世紀のスコットランドの哲学者で経済学者のアダム・スミスにとっては、これはごく当たり前のことだった。
当時、英国国教会の神学者たちは、英国国教会に属さないプロテスタント諸派の信者の増加、とりわけジョン・ウェスリーが始めたメソジスト派の信者の増加を何より気にしていた。
現代の新聞やデジタルメディアでの、一部のポピュリスト政治家の論じられかたにも通じるものがあるが、メソジスト派の説教師は聴衆を「とりこにし」て、「正常な判断力を失わせ」、「英国国教会の牧師は盲目の案内人であり、偽の預言者である」と信じ込ませていると批判された。
しかし、あるアイルランド人の牧師がメソジスト派の説教師ジョン・スマイスに棍棒で殴りかかって、次のように叫んだことがあった。おそらく本音はこちらにあったのだろう。「おまえの説教のせいで、教区のみんながたぶらかされて、わたしの教会に来る人が減ってしまったではないか」。
アダム・スミスにいわせれば、これぞ問題の核心だった。つまり、このときに英国の宗教界で繰り広げられていたのは、聴衆の獲得競争であったということだ。スミスの考えでは、メソジスト派が聴衆の獲得に長けていたのは、彼らに強い動機があったからだった。
『諸国民の富』の第5編で指摘されているように、メソジスト派と国教会とでは牧師に与えられる経済的な見返りに差があった。英国国教会の牧師は説教の出来不出来に関係なく、たっぷり給料をもらっていた。
ところが、メソジスト派の牧師は熱狂的な聴衆を集められなければ、食べていけなかった。スミスは次のようにいくらか皮肉を込めて述べている。「国教とされ、資金力に富んだ教団の聖職者は、得てして、学があって上品で、紳士にふさわしい徳をすべて備えている」。反面、教会を満席にすることにはあまり関心がなく、したがって、秀でてもいなかった。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら