『原発不明がん』で逝った夫は「18日間自宅で生活できただけでも奇跡的だった」と医師。そばにいる家族には何ができるのか? 妻の葛藤
ディープラーニングを使った研究は既に学会でもたくさん発表されているし、今後も増えてメインの研究になっていくだろう。将来この方法を使って治療法を探すことになるのは確実だ。
若い奥屋医師は、AI技術の登場によりデータの更新は毎秒単位で起こるほど劇的に変化しており、その知識の蓄積をして治療に繫げていく使命が自分にはある、と強い口調で語った。
18日間自宅で生活「意外と長く生きられてよかった」
保雄が自宅での緩和ケアを熱望したことを、医師としてどう思っていたのか。
「治療の断念を告知した時、自宅に帰りたいと東さんはすぐに言いましたよね。でもあの時、実はいつ亡くなってもおかしくない状態だったんですよ。多分帰ることができても1週間は持たない。救急車の中で亡くなる可能性はお伝えしましたよね。でも少しでも家でゆっくりできたらいいなあ、と祈るような気持ちだったんです」
退院する日の奥屋医師の無念そうな、そしてそれ以上に心配そうな複雑な表情が忘れられない。私と目をなかなか合わせてくれなかったのも、そのせいなのか。
「18日間自宅で生活できて、その後亡くなったと聞いて、意外と長く生きられてよかった、というのが本音でした」
保雄が望む最後の時間を過ごすのにギリギリ間に合ったのか。私はあの時、どこか暢気に構えていた。
「本人の希望ですから、帰宅するのを医師が止めることはできないのですが、あの状態で帰宅すれば奥さんに非常に大きな負担がかかるのはわかっていました。へたをすれば共倒れになってしまう。でも、最後は本人の希望を叶えてあげようという結論に達しました。帰宅できて18日間生活できたというのは、実は奇跡的なことだと思います」
奥屋医師はさらにこう続けた。
「私たち医師は、どうしても家族の負担ばかりに目が行ってしまい、患者さんの気持ちをおろそかにしがちです。目が行き届いてすぐに処置ができる病院のほうが安心できますからね。
でも今回の話を聞いて、考えてしまいました。がんの腹膜播種があり腸閉塞に至っている患者さんを診療していると、口から水や食事を取りたいと切望されることがあります。その苦痛は見て知っていますが、『吐いても、誤嚥して苦しくなってもいいから飲みたい、食べたい』と言われても病院内では何もできません。
東さんは、入院していては決して体験できなかった、蕎麦屋の出汁やコンソメスープなど、 食べたいものを最後に味わい、周囲の皆さんのサポートを受けて豊かな時間を過ごされました。だから自宅で過ごされたことは間違っていなかったと感じています」
奥屋医師は最後まで誠実だった。先生はどうして希少がん・難治がんの専門医になったのですか、と訊くと、意外な答えが返ってきた。
「もともとは、治らない病気の最終段階をどう診るかという問題に興味があったのです。緩和ケアの勉強をするうち、必然的に治療の難しいがんにたどり着きました。原発不明がんという 病気は、症状や治療法の幅がかなり広いので、臨床医としていろいろながんの経験が積めますから、これから治してあげられる人も多くなると思っています」
『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』の刊行を記念して、2025年12月20日(土)に大阪の隆祥館書店でトークイベントを開催いたします。
ゲストは大阪大学名誉教授の仲野徹さん、テーマは「『原発不明がん』『希少がんホットライン』、人生の最後の時間をどのように過ごすことが幸せなのか?」です。
詳細は以下URLよりご確認ください。https://note.com/ryushokanbook/n/n0a73f3df4476
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