『果てしなきスカーレット』の大コケと『国宝』の興行収入記録更新が示唆する「テレビ局と日本映画の幸せな時代」の終焉

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テレビ局は、そんな作り方をしなくてもドラマを仕上げてしまう。そして、同じように映画も作る。芝居も演出もテレビドラマのやり方だ。主演も、日々テレビに出ているタレントたち。ドラマでするように、大げさに泣いたり怒鳴ったりする。日本映画はテレビ局に救われたが、同時に日本映画が「テレビ化」してしまった。

『国宝』は映画監督として上質な作品を撮り続けた李相日氏が、いつか歌舞伎の映画を作りたいと願って出会った原作だった。その映画化に向けて、脚本作りに2年を費やし、主演の吉沢亮と兄弟役の横浜流星は1年半かけて歌舞伎を稽古したという。テレビ局が絶対やらない作り方を、プロデューサーの村田千恵子氏が通した。

製作幹事はアニプレックスと、その子会社であるミリアゴンスタジオ。アニプレックスはアニメ『鬼滅の刃』をプロデュースした会社だ。つまり、『鬼滅』のヒットが『国宝』のクオリティーを生んだといえるのかもしれない。「本物の映画」が漂わせる神々しさは、テレビ局の作り方では出せないだろう。

国宝
『国宝』は李相日監督をはじめとした関係者の妥協なき姿勢によって「本物の映画」が漂わせる神々しさを帯びることになった(写真:筆者撮影)

それでも、映画界の誰も『国宝』が『踊る』の記録を抜くとは思わなかったはずだ。私も、あの時代にあったフジテレビの“勢い”がないと、抜くのは無理だと考えていた。だが『国宝』は、静かに静かに、だが少しずつ着実に記録に近づいていった。

興収が100億円を超えたとき、一部で「ひょっとして抜くのでは?」と言い出す人が出てきた。それでも私は、そんなことがあるはずがないと考えていた。それがついに『踊る』を抜いたことは、時代に対する重要なメッセージと受け止めてしまう。

劣化してしまった「日テレ映画」ヒットの法則

くしくもフジテレビが前代未聞のスポンサー離れに見舞われ、過去の栄光がズタズタになった今年、そのフジが打ち立てた金字塔が興収首位から転落したのは、大きな意味がある。テレビ局はもう映画をヒットさせる力を失ったのだ。

前作から一転した『果てしなきスカーレット』の不振にも、どうしても同様のメッセージを重ねて見てしまう。

細田守作品を、いわゆるテレビ局映画と同列で論じてしまうのは失礼ではある。私は00年に幼い長男を初めて映画館に連れていって『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を見たときの衝撃を忘れない。明らかな「作家性」を感じ、その後の監督作はすべて劇場で見ている。

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