『果てしなきスカーレット』の大コケと『国宝』の興行収入記録更新が示唆する「テレビ局と日本映画の幸せな時代」の終焉
1990年代の日本映画は、ハリウッド映画に押され、風前の灯だった。暗くダサい、世間から見放された存在。そこに98年『踊る大捜査線 THE MOVIE』が公開され、テレビドラマを映画化すればメガヒットになることに、映画業界もテレビ局も驚いた。
さらに2作目が信じられないヒットになり、その後、どの映画も破れなかった興収173億円を稼いで金字塔になった。『踊る』シリーズに続いてフジテレビは次々と映画を世に放ち、他局もそれに続いた。
いま思い返せば不思議だが、当時はテレビドラマを映画化すればメガヒットになるなんて誰も考えもしなかった。それが00年代には当たり前になり、日本映画の興収が洋画を超えるのが常態化していった。もう誰も日本映画を「暗い」とは言わない。むしろ、ハリウッド映画のほうが徐々に日陰に追いやられていった。
だが10年代に入ると、テレビは徐々にネットに押され、以前ほど映画に製作費を出せなくなった。一度は映画界を牛耳ったといっていいテレビ局の影響力は後退していく。
16年公開の『シン・ゴジラ』『君の名は。』が立て続けにヒットしたとき、はっきりと潮目が変わった。いずれも東宝が、前者は庵野秀明監督、後者は新海誠監督をフィーチャーして製作した映画で、テレビ局はまったく関わっていない。テレビ局とは関係なくメガヒット作品が生まれうるのだと業界関係者は認識させられた。
それでも、ドラマの映画化は続いていた。ヒット作も出ていた。だが、以前のように次々にヒットはしない。むしろ、興行が振るわない映画のほうが増えた。テレビドラマを映画化する意味が何なのか、わからなくなっていた。
テレビ局映画と『国宝』は何がどう違ったか
テレビ局映画には欠点もあった。準備にお金と時間をかけない。テレビドラマの、次から次に枠を埋める作り方を踏襲していた。
ハリウッドでは、脚本が「商品」として出回り、いいシナリオは億単位の金額で映画化権を買い取られる。キャストや監督が決まると、脚本にさらに手を加える。優れた脚本が映画になって世に出るまで、何年もかかる。



















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