保養所の開所から閉鎖まで約20年間勤務し、愛着があった。だが、生活のためにはまだ働く必要がある。東京への移住を検討し始めたのは、まさに好きだった保養所の仕事ができなくなったからだった。
妻は7人きょうだいの末っ子で、やはり地元は宮城県。突然の東京移住となると、さぞかし反対の声が大きかったと思いきや、意外にもまったく反対はなかったという。
「妻のきょうだいのうち、姉2人は東京にいるので、その点で不安もなかったようです。自然に東京に移住する流れができました」
購入した住宅のローンが残っていた
ただ、一つ問題があった。川崎町の旧自宅は貸家にしていたために家賃は月5万~6万円入っていたが、震災の少し前、57歳の時に大河原町に購入した中古の家はまだ住宅ローンが残っていたからだ。
「中古とはいえ、なぜ57歳という年齢で新たに家を買ったのかと思うかもしれませんが、これはもともと子どもたちの送迎の手間や費用との見合いで判断しました。当時は娘を予備校に送り、三男を高校まで送るという二方面送迎が必要だったからです。川崎町は交通の便が悪く、バスなど公共交通機関はほぼ使えないのです。それを考えると新たな家を買う方が得策でした」
泰男さんが突然の東京移住を検討することになったのは、証券会社、ホテル、工場など多種多様な職業を経験してきたことも影響しているようだ。
「保養所には人生で最長の20年勤めましたが、その前にはTDKの下請けだった工場、仙台のホテルなどでも勤務しました。私には経理や管理の業務が向いていると思い、東京であればそのような能力が生かせる仕事もあるだろうと考えました」



















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