東京に来る前、樫山さん一家は宮城県で暮らしていた。山形県境に近い川崎町、大河原町という内陸地域である。
樫山さんは1993年から2013年までの約20年間、宮城県蔵王町にあった電力会社系列の保養所で副支配人をしていた。健康保険組合の保養施設で、客室約20室・宿泊定員約70人、従業員数40人とかなり規模が大きい保養所である。
副支配人であると同時にフロント・レストランサービス責任者、設備管理補佐、従業員勤怠管理、安全衛生推進者などを兼務し、非常に広範な業務をこなしていた。
「この保養所の仕事は自分に合っていました。電力会社系なので給与もそれなりによく、不満はありませんでした」
しかし、11年3月の東日本大震災を契機に、樫山さんの人生も変転する。震災の時は職場にいたといい、電気は震災直後に不通になった。そのためにしばらくテレビも観られず、東北沿岸部に未曾有の大津波が襲ったことを知ったのは当日の夕方以降だった。
「私が在籍していた親会社の電力会社でしたが、保養所副支配人の立場ではまったく情報は入りませんでした。ですので、テレビを観て驚きました。実はこの時、息子が石巻の教習所に行っていたのでとても心配しましたが、車で送ってくれた方がいて、なんとか助かりました」
東日本大震災の影響で施設閉鎖
震災後、子どもたちは皆東京など首都圏に行ってしまい、娘も大学卒業後に銀行に就職。泰男さん自身は定年延長して65歳まで保養所勤務を続けるつもりだった。
しかし、11年の東日本大震災の影響もあって、保養所の廃止が決まった。60歳になった12年9月に定年退職し、保養所が廃止される13年3月まで、半年間は嘱託で勤務した。



















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