「心がないと人には届かへん」74歳《ヒョウ柄おばちゃん》が語る、弱さを受け止める生き方→「ママ、彼氏に逃げられたぁ」と客の恋愛相談も受ける訳

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近隣のラグジュアリーホテル『OMO7大阪 by 星野リゾート』から「大阪のおばちゃんってこんなんやで」と伝えてほしいと頼まれ、1年間講演に通ったことも。宿泊客を前にざっくばらんに話し、「テレビと変わりませんね」と喜ばれた。

なにわ小町
『OMO7大阪 by 星野リゾート』での講演の様子(写真提供:なにわ小町)

彼女の元に頼み事が集まる理由は、明るくおおらかなキャラクターと、おしゃべりの面白さが大きい。だが、それだけではない。「度を越した世話好き」なのだ。

息子が幼児、小学生のときは、町内会、子供会、PTAの役員を連続9年担当。バレーボールを習ったときは、近所の子供4人の弁当もつくり、一緒に土日の試合に連れていった。住んでいた吹田市江坂から枚方市の『ひらかたパーク』まで20km以上、子供たちと自転車で出かけたこともある。

当時の子供たちはテレビ出演する高橋さんを見て、「おばちゃん変わらへんね」と言ってくる。かれこれ30年以上も付き合いが続いており、未だに、「おばちゃん、今日のおかずなに?」と頼ってくるそうだ。

若いころバイトしていたスナックの「ママの妹さん」とも50年近い御縁が続いている。ママは数年前に亡くなったが、その妹さんのお世話をなんやかんや買って出ているのだ。

「この前も、『会うてもう半世紀やね。ようしてもろて』っていうから、『言わんとって涙が出るわ』って二人で泣いてもうて。会う人会う人、長いことお付き合いできてるね」

この高橋さんのキャラクター、どこからきたのだろう。

なにわ小町
息子の輝明さんと(写真提供:なにわ小町)

「自分は人を見る目がないのかもしれない」

30代から50代にかけての高橋さんは家庭に仕事にと、とにかく忙しかった。理由の1つは、シングルマザーになったことだ。

1994年に実家の父親が亡くなった後、母親から連日電話がかかってくるようになった。「ぼけとるんちゃうか」と不安になったが、夫に相談しても他人事。そもそも、結婚してからずっと単身赴任で、家にほとんどいなかった。そこで、「この際やから帰ろう」と離婚届を置き、息子を連れて実家に帰った。

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