孔子の「13年転職失敗」とイエスの「社内改革頓挫」…偉大な教祖の"不遇すぎたキャリア"と"逆転のブランド戦略"
貧しい苦学生だった孔子が情熱を注いだのは、失われた古典的経営術、すなわち古代の「儀礼」の研究でした。彼が目指したのは、その学識をもって諸侯に仕え、国家を動かす「一流企業のプロ経営者」になることでした。
しかし、彼の「就職活動」は困難を極めます。当時は有力な家柄の出身でないと要職に就けない、いわば「学歴フィルター」のようなものがあり、孔子はなかなかチャンスを得られません。
ようやく53歳の時、その学識が認められ、故郷・魯の国で経営戦略室長クラスともいえる「司寇(しこう)」というポストにスカウトされます。彼は魯王家を強化するため、当時、国王の権力を脅かしていた「御三家(三桓氏)」の力を削ぐという、極めて難易度の高い「経営改革プロジェクト」を推進しました。しかし、これは既存勢力の猛烈な抵抗にあって失敗。孔子は政治的立場を失い、わずか数年で辞職に追い込まれます。
その後13年間、彼は弟子たちと共に諸国を「流浪」します。これは「私の経営術を採用してくれないか」と売り込む、必死の「転職活動」でした。しかし、彼の理念は受け入れられず、時には命を狙われ、投獄されるなど散々な目にあいます。
「沽(う)らんかな、沽らんかな(売れないかなあ、売れないかなあ)。我は賈(こ)を待つ者なり」
そう嘆いた彼の夢は、ついに叶いませんでした。69歳で故郷に帰国した時、彼に残されたのは「夢破れた教育者」という立場だけだったのです。
後継者による「ブランド大逆転」
孔子が生前に残した最大の「資産」は、輝かしいキャリアではなく、彼の人格と学識を慕って集まった弟子たちの共同体、すなわち「孔子ビジネススクール」とでも呼ぶべき「教育事業」でした。彼の死後、この「卒業生」たちが歴史を動かします。
学団は分裂してしまいますが、その中から孟子(もうし)と荀子(じゅんし)という、二人の天才「2代目経営者」が登場します。彼らは、創業者の思想をそれぞれのやり方で発展させ、ブランド価値を決定づけました。


















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