神戸では知る人ぞ知る、阪神電車「創業の立役者」 親子で社長を務めた「小曽根家」との深い関係

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ところで阪急は名経営者として後世に名を残す小林一三という創業者があったが、阪神の創業者といって思いつく人は少ないだろう。それは、おそらく神戸という街が1868年の神戸港開港後に発展した新しい街だったということと関係がありそうだ。

神戸の隣町である兵庫津(ひょうごのつ)は、平清盛が日宋貿易に活用したという歴史ある港町だが、本格的に西洋との貿易港として整備を始めた神戸港の後背地に広がったのが旧外国人居留地を中心とした神戸市街だ。

阪神本線の神戸側の終点、元町駅。同駅から山陽電車と接続する西代駅までが神戸高速線。「直通特急」で大阪へも姫路へも行ける(編集部撮影)

発起人の1人に小曽根喜一郎

新たな都市と経済の中心地である大阪を民間の鉄道でいちはやく結びたいと考えたのは、当時の神戸で商売を始めた経営者たち、いわば神戸経済界の悲願であったとも考えられる。

阪神電気鉄道の歴史をさかのぼると最も源流にあるのは1893年に設立発起した「神阪電気鉄道」だった。翌年には摂津電気鉄道に改称することになるが、当初の本社は神戸市花隈町(現在の神戸市中央区)に置かれ、当時の神戸経済界の熱意がうかがえる。

徐々に大阪側の資本も入り、社名も現在の阪神電気鉄道に変わる。ただ一貫して阪神の大株主で、神戸側代表のような役割を果たしたのが、発起人としても名を連ねた小曽根喜一郎(1856~1937)だ。

1898年に開いた摂津電気鉄道の創業総会の時点では1000株を保有する第5位の大株主で、取締役にも就任した。1916年ごろから4250株(発行済み株式の3.0%)を保有する筆頭株主になった。

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