人はどこで争うかといえば、この文化の部分で争うのです。真理の部分ではないのです。
例えばお釈迦様と同世代に活躍した宗教家にマハーヴィーラという方がいます。この方が開いた宗教がジャイナ教です。ジャイナ教の禁欲の教えは徹底しています。仏教は自分が生活していく上で必要なものは所持していいとしていますが、初期のジャイナ教では物の所有は禁じられていました。
人は体をおおう衣1枚で争う
マハーヴィーラが亡くなった後に、弟子たちはある考え方の違いで分裂しました。それは、体をおおう1枚の布を所有してよいかどうか。「一切のものを所有しないのだからダメ」という派と、「体を隠す布くらいはよい」という派に分かれたのです。
裸でいるか白い布を身につけるかという、たったひとつの違いによる分裂です。
客観的に見ればどちらでもいいようなことでも、本人たちにすれば大問題。その小さな違いに執着し、それによって対立が起こる。真理はさておき、このような文化の違いで人々は争いを起こします。
もちろん文化が悪いという単純な話ではありません。それぞれの民族、それぞれの国、それぞれの宗教、それぞれの宗派に文化があります。それは大事にすればよいのです。
ただ、文化の違いに執着して争うことは避けなければなりません。歴史を見ると、文化の違いから起こった戦争がいくつもあります。
そして文化の違いの裏にさらに隠れているのが、利権やメリットです。ある文化的違いを正当化する誰かが、利益を得ている。ここを正しく見つめなければ、本当の戦争の理由は見えてきません。
他国の領土に攻め入り、人を殺してまで争い続けるのは、そこに利権があるからです。人の執着が絡んでいるのです。誰の欲のためにこの争いが起きているのか。文化の違い、そしてその裏にある利権。これが争いを見るときに忘れてはならないポイントです。
仏教には、女性に触れてはいけない、直接話してはいけないなどの戒律がたくさんあります。教本や歴史の本のなかに、女性にまつわるエピソードは多くあります。



















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