世界のサムスンでお家騒動が勃発 創始者の遺産をめぐり李会長が舌戦へ、韓国経済に悪影響?

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韓国を代表する世界企業・サムスンの李健煕(イ・ゴンヒ)会長が、遺産相続に絡み、兄弟間での舌戦を繰り広げ、韓国内外で高い関心を集めている。

サムスングループの創業者である李秉喆(イ・ビョンチョル)氏(故人)の長男・孟煕(メンヒ)氏と二女の淑煕(スギ)氏が、李健煕会長を相手取り「李秉喆氏が死去した際、第三者名義で信託していた財産を(李健煕会長が)知らせず、李会長が自分名義にした」として、約7200億ウォン(約500億円)の支払いと約1900億ウォン(同134億円)相当の株式の譲渡を求める訴訟を起こした。李健煕会長は、李秉喆氏の三男に当たる(二男の昌煕(チャンヒ)氏はすでに死亡)。

孟煕氏は韓国メディアに対して訴訟代理人を通じて、「(李会長は)兄弟間のいがみ合いだけを起こし、つねに自分の利益だけを考えてきた。一銭も出さない貪欲さが今回の訴訟の原因」と主張すると、李会長は「孟煕は私の息子ではない、と父が縁を切った。私を含め誰も長男だとは思っていない」と、普段は寡黙な李会長にしては激しい口調で反論している。

サムスンの歴史を振り返ると、かつて李孟煕氏が「後継者」として、父・李秉喆氏の後を継いだ時期があった。1967年、李秉喆氏は同グループの社長団会議で、「孟煕を初めてサムスンの総帥に決め、サムスンを率いる権利を与えると宣言し」、自分は引退を表明したという(『李健煕−サムスンの孤独な帝王』金慶植著、福田恵介訳)。

実際に68年、サムスン物産の副社長となった孟煕氏は、サムスン全体の運営・指揮系統を自分の手中に収めながら、後継者としての作業を粛々とこなしていたようだ。ところが、「最初は周囲の勧めと本人の希望もあり、長男の孟煕にグループの一部の経営を任せてみた。しかし、半年も経たないうちに任せていた企業はもちろん、グループ全体が混乱に陥ってしまった」と李秉喆氏の自叙伝である『湖巌自伝』に記されている。

その直後の68年6月に、李秉喆氏が経営の第一戦への復帰を宣言している。李秉喆氏は「(孟煕氏)本人自ら退いた」と自伝の中で記しているが、孟煕氏によれば、事実と違うようだ。孟煕氏も本人の回想録『隠していた話』で、当時の状況を次のように記している。 

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